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森田芳夫氏のこと(続き)

投稿者: bosintang 投稿日時: 2006/06/20 22:11 投稿番号: [3015 / 3669]
  崔鉉培(1894〜1970)は,広島高等師範学校,京都帝国大学哲学科卒業,同大学院で教育学専攻後,1926年に延禧専門学校教授になる。
  1938年7月,民族独立運動に携わった理由で,辞職を強要された。1941年に朝鮮語研究書『正音学』を著述。朝鮮語学会幹部,同会の『朝鮮語辞典』編纂が民族独立運動とされて,42年10月に逮捕され,咸興刑務所に収容された。その後,刑期4年を求刑され,上告中に終戦になり釈放された。ただちにソウルに帰還して解放後の新しい国語教育に挺身,その年9月から3年間,米軍政庁文教部編修課長,同局長の任にあった。のちハングル学会理事長。韓国政府文教部編修局長。延禧大学校副総長。
  1945年9月,崔鉉培がその次男崔哲海に語った次の言葉が伝えられている(崔哲海は,正音文化社社長,1981年7月22日ソウルにて筆者聴取)。
「長い日本統治は終わった。現在,民族の政治的活動が活発であるが,一番大事なことは,国民の言葉と魂を教える国語,国史の教科書を作ることである。国語の教科書は朝鮮語学会で,国史の教科書は震檀学会で編纂しよう」


  朴泳孝が1888年に国王への建白書の中に記した上述の言葉は,その6年後,甲午の改革で実施に移された。しかし,その16年後に,韓国は日本に併合され,日本語が「国語」に,日本歴史が「国史」とされた。1945年に解放を迎えて,崔鉉培の言葉どおり新しい国語・国史教育が出発した。
  朝鮮語学会の手で『ハングル初歩』『初等国語教本』をはじめ,ハングル横書の新しい国語教科書が作られた。一方,日本官憲に押収されていた『朝鮮語辞典』の原稿は,解放後,その補正を行い『クン・サジョン』6巻として刊行された。その後,ハングル専用を主軸とする国字政策に対する漢字混用論者の批判はきびしいが,ハングル専用,漢字混用ともに民族みずからの言葉の上での主張である。
  震檀学会は,1934年に発会した朝鮮人学者の集団である。震檀学会編纂の『国史教本』が46年5月,軍政庁文教部で刊行され,解放後の国史教育の基調となった。
  解放後28年,韓国の国語国史教育を受けた子どもらが成長して新世代を形成する段階になって,1973年に高等学校の第二外国語の選択科目(それまでドイツ・フランス・スペイン・中国語に限られていた)に日本語が加えられた。

(引用終わり)

文中、(崔哲海は,正音文化社社長,1981年7月22日ソウルにて筆者聴取)を見ても分かるように、氏の著作は常に情報源が明示されており、筆致も感情に流れされることなく、信頼性はきわめて高いと思います。
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