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森田芳夫氏のこと

投稿者: bosintang 投稿日時: 2006/06/20 21:56 投稿番号: [3014 / 3669]
1987年刊行の大著『韓国における国語・国史教育』
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&board=1835396&tid=a2a1a53a5ja5a24xoa2bdqc0ra2a1&sid=1835396&action=m&mid=138
の著者略歴によれば,

森田芳夫
1910年生まれ。京城帝国大学法文学部史学科卒業。大韓民国日本国大使館参事官,誠信女子大(ソウル)教授を経て,現在,九州大学文学部講師。文学博士。

とあります。

なお、氏の代表作は『朝鮮終戦の記録』1964年巌南堂1038ページ

90年に亡くなったあと,たぶん産経の黒田さんが書いた追悼の文章の中で,戦前,総督府に勤務していたというような内容があったと記憶しますが,その本を見つけられませんでした。

同書から「はじめに」をご紹介します。

著者の朝鮮問題に対する真摯な取り組みと、誠実さがうかがわれます。

はじめに
みずからの言葉,みずからの歴史
−韓国における「開化」と「解放」−

朴泳孝(1861〜1939)は,波瀾にみちた旧韓末の開化期に活躍した人物である。哲宗王の女婿。1882年,壬午の軍乱後に,日本・朝鮮間で結ばれた済物浦条約履行のため,21歳の若さで修信大使として日本に赴いた。その時,はじめて太極旗を朝鮮の国旗として往来する船に掲げたのは有名な話である。かれは,同行した金玉均らとともに,その後の開化政策遂行の中心的役割をなした。
  1884年,甲申政変で,日本の力を頼りにしてクーデターを起こしたが,成功せずして日本で亡命生活10年を送った。かれが日本亡命中に,88年2月24日付で,国王あてにしたためた建白書の写しが『日本外交文書』第21巻に収められている。それは,当時の朝鮮のエリート官僚として,洗練された漢文で書いた長文の論稿であり,視野も広く,祖国を憂うる至情にみち,世界の動きを論じて改革の諸施策を記しているが,その教育に関する事項の中に,次の一節がある。
「一,まず人民に教うるに,国史および国語国文の事をもつてす。本国の歴史,文章を教えずして,ただ清国の歴史,文章を教ゆ。故に人民,清をもつて本となし,これを重んじ,時刻の典故を知らざる者あるに至る。これ本を捨てて末を取るというべきなり」
  清は,当時の中国である。朝鮮王朝期の教育が儒学を基本として,国史・国語教育の根幹が中国史・漢文の教育になっていることを指摘して,自国の歴史および自国の文章を教えるべきであると論じている。
  朴泳孝は1894年,日清戦争勃発後に帰国して内務大臣に就任,95年7月にふたたび失脚して1907年2月まで日本に亡命していた。

つづく
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