日帝期の教育政策③
投稿者: bosintang 投稿日時: 2006/06/19 20:44 投稿番号: [3001 / 3669]
投稿者: bosintang (39歳/男性/在ソウル) 2001年2月06日 午前 1時12分
メッセージ: 393 / 511
>3.1運動以降、韓国民族は1920年代から日帝の朝鮮教育令を否定し、6か学部を持った朝鮮民立大学の設立運動を激しく展開し、成功の段階に至ると、日帝はこれを停止させる為に、1924年京城帝大を設立する。それは植民地朝鮮に移住した日本人の子女と植民地官吏を養成する目的である。朝鮮人の学生の入学は認めるが、それは朝鮮の民衆の激しい運動に日帝が一歩下げたものに過ぎない。その学生の構成比をみると圧倒的に日本人中心だった。
22年に始まった民立大学設立運動が頓挫したのは、総督府の妨害、京城帝大の設立もありますが、直接的には資金難です。同年秋の関東大震災における朝鮮人被害(約6000人の虐殺を含む)、23年湖南平野の旱害、25年平壌の洪水などへの募金活動が優先されたため、基金募集が進まなかった。
京城帝大は、1926年には法文学部・医学部が、41年に理工学部が開設。それより遅れて帝大になった阪大(31年)や名大(39)は開設当初、医学部、理工学部で出発しました(文系学部は戦後増設)。法文学部が優先されたのは、文を重んじる朝鮮側の強い要望によるものです。初代総長の服部宇之吉の意向で国内の優秀な学者を集め、東京帝大に準ずるアカデミックな学風だったそうです。研究水準も内地の帝大に遜色ないもので「植民地官吏養成」が主目的ではないでしょう。
なお、京城帝国大学の現地人比率は34%(日1,219、朝627。1929-42、卒業生計)。フランス植民地下のアルジェ大学の現地人比率は11%(1954年)。
>また、内地への留学した韓国人も多少居た。その原因はまず、韓国内には帝大しかないし、韓国人の定員制限があったがため、内地の私立大学に進学するしかなかった。しかし、そうするには経済的に物凄い余裕がないと出来ない。
42年、内地の大学に通う朝鮮人大学生は2788人。かなりの人数ですね。
これは メッセージ 3000 (bosintang さん)への返信です.
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