Re: 京城帝国大学
投稿者: ahirutousagi2 投稿日時: 2006/06/16 20:18 投稿番号: [2971 / 3669]
>1924年の京城帝大設立は、朝鮮人による民立大学設立運動の事前遮断と、朝鮮人の高い教育熱が与える日本帝国に対する圧力という二つの要因が背景で作用したためだったが、それとは状況を異にする。
この記述が「この大学は朝鮮人が独自の大学を設立しようとしているのを知った総督府がそのような運動を押さえるためにやむおえず設立した」の根拠となるのですね。
さて、総督府は民立大学設立の動きを察知してそれを遮断するために第二次朝鮮教育令第12条に関連規定を入れ、京城帝国大学を作ったのでしょうか。
それとも、朝鮮教育令を根拠として総督府で京城帝国大学設立の方針が明確になってから(委員会の設置はもう少し後ですが)、李商在らが運動を展開したのでしょうか。
一応ネットでいろいろとあたってみましたが、どうもはっきりしたことは分かりませんでした。両方の理解が可能であるようにも思われました。ちなみに、
「民立大学期成運動」
三一独立運動以降の教育振興運動の一環として展開された、朝鮮人による朝鮮人本位の大学創設を目標とする運動。1922年2月に公布された第二次朝鮮教育令に大学教育に関する規定が盛り込まれ、ついで総督府内で京城帝国大学創設の方針が確定するや、同年11月李商在ら47名の発議により朝鮮民立大学期成会が結成された。(中略)この運動の精神は普成専門学校などの民族系高等教育機関に継承されていく。(朝鮮を知る事典、平凡社、1986)
という見方は、後者に該当します。
なお「普通学校卒業後専門学校などの高等教育機関へは朝鮮人はほどんど少数しかいません」との発言がありましたが、私はこれにはやや疑問を持っています。
たとえば上記の「この運動の精神は普成専門学校などの民族系高等教育機関に継承されていく」にも関係しますが、普成専門学校などでもほとんど朝鮮人は少数であったという理解でしょうか?そして、延キ専門、梨花専門、崇実専門、培材学堂などは如何?朝鮮人学生は本当に「ほとんど少数」でしょうか?
私たちが知りたいのはそうした事実を明確にした上での朝鮮の当時の現実の理解であって、結果が先にありきの議論ではないのではないかと思います。
それから、京城帝国大学設立のもう一つの背景として「朝鮮人の高い教育熱が与える日本帝国に対する圧力」というのがあげられていますが、これがどうも意味が分かりません。朝鮮の高い教育熱による朝鮮人からの日本への要望、ということでしょうか。どうも分かりません。
ここで「圧力」とする必要があるかどうか。大阪や名古屋に先立って京城と台北に帝国大学を設けたことには当然にそれなりの背景があるはずですが、どうも、これも「圧力」と規定してしまってはなにか的確ではないような感じもあります。
この記述が「この大学は朝鮮人が独自の大学を設立しようとしているのを知った総督府がそのような運動を押さえるためにやむおえず設立した」の根拠となるのですね。
さて、総督府は民立大学設立の動きを察知してそれを遮断するために第二次朝鮮教育令第12条に関連規定を入れ、京城帝国大学を作ったのでしょうか。
それとも、朝鮮教育令を根拠として総督府で京城帝国大学設立の方針が明確になってから(委員会の設置はもう少し後ですが)、李商在らが運動を展開したのでしょうか。
一応ネットでいろいろとあたってみましたが、どうもはっきりしたことは分かりませんでした。両方の理解が可能であるようにも思われました。ちなみに、
「民立大学期成運動」
三一独立運動以降の教育振興運動の一環として展開された、朝鮮人による朝鮮人本位の大学創設を目標とする運動。1922年2月に公布された第二次朝鮮教育令に大学教育に関する規定が盛り込まれ、ついで総督府内で京城帝国大学創設の方針が確定するや、同年11月李商在ら47名の発議により朝鮮民立大学期成会が結成された。(中略)この運動の精神は普成専門学校などの民族系高等教育機関に継承されていく。(朝鮮を知る事典、平凡社、1986)
という見方は、後者に該当します。
なお「普通学校卒業後専門学校などの高等教育機関へは朝鮮人はほどんど少数しかいません」との発言がありましたが、私はこれにはやや疑問を持っています。
たとえば上記の「この運動の精神は普成専門学校などの民族系高等教育機関に継承されていく」にも関係しますが、普成専門学校などでもほとんど朝鮮人は少数であったという理解でしょうか?そして、延キ専門、梨花専門、崇実専門、培材学堂などは如何?朝鮮人学生は本当に「ほとんど少数」でしょうか?
私たちが知りたいのはそうした事実を明確にした上での朝鮮の当時の現実の理解であって、結果が先にありきの議論ではないのではないかと思います。
それから、京城帝国大学設立のもう一つの背景として「朝鮮人の高い教育熱が与える日本帝国に対する圧力」というのがあげられていますが、これがどうも意味が分かりません。朝鮮の高い教育熱による朝鮮人からの日本への要望、ということでしょうか。どうも分かりません。
ここで「圧力」とする必要があるかどうか。大阪や名古屋に先立って京城と台北に帝国大学を設けたことには当然にそれなりの背景があるはずですが、どうも、これも「圧力」と規定してしまってはなにか的確ではないような感じもあります。
これは メッセージ 2922 (whiterose20051 さん)への返信です.
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