近代日本の教育と朝鮮 ①
投稿者: whiterose20051 投稿日時: 2006/06/15 03:42 投稿番号: [2891 / 3669]
序論
教育の支配と植民地の支配
国家によって統轄された近代教育は、それ自体が国家による民衆の支配である。
日本の場合、明治政府は国民国家形成の方途として、1872年、まだその権力
掌握過程にありながら、「国民皆学」を掲げた「学制」を発布し、各地に
学校を作らせた。
以後、その就学率は1873年の28パ−セントから35年の歳月を要して、1908
年頃に、98パ−セントへと上昇していく。
国家による教育はまず、国家語である共通語、すなわち「国語」の普及を
第一の課題とし、同時に国民イデオロギ−を注入していく。
最初の目的は対外侵略の兵隊作りであり、そのため、まず男子就学率が上昇し、
其の後に工場労働者形成のため、女子就学率が上昇するという経緯をたどった。
一方で、教育は、もともと人間の生活それ自体として存在し、人間が生活実践
を通して自然に働きかけ、社会関係を取り結んでいく中で、自然をかえ社会を
変革していくとともに、自らつくりかえていく、人間の自己形成の意図化されたものとして
も存在する。
そのような教育の組織化として、明治政府の「学制」以前にも、寺子屋等、さまざまな
形態での教育機関が存在した。
明治国家の学校形成過程は、この民衆の教育機関の自らの権力のもとへの取り込みであるとも、
いうことができる。
事実、「学制」によって作られた学校の中には、それまでの寺子屋の校舎等を転用したものも少なくない。
国家のもとに統轄された教育は、国家によって作成されるカリキュラムと、国家によって資格をあたえられた、
あるいはそのもとで訓練された教員の存在をもって完成する。
日本における義務教育の普及に40年近い年月が必要であった事の一端には、この教員養成の問題も存在する。
明治政府の学校設置の動きに対して、国家に支配された学校の必要を感じなかった民衆の中からは、「学校一揆」
のような反乱も起こった。
これは メッセージ 2887 (whiterose20051 さん)への返信です.
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