つづき
投稿者: mochikokuhou02 投稿日時: 2004/11/28 08:41 投稿番号: [2345 / 3669]
(つづき)なお、壬午軍乱1882に関するより詳しい内容は同ライブラリーの『朝鮮変報録』が貴重です。雑誌の抜刷りににた古いタイプの冊子状新聞ですが、有力新聞日刊各紙の報道や社説の引用を中心に事件の全体像を特集し速報したもので、14冊計150ページほど。『朝鮮乱民襲撃始末』もやはり事件直後に岡山で出された冊子状新聞です。
新聞各紙の社説で面白いのは、自由民権時代当時から、自由に行き来して話し合い、という軟派論が多かったことです。朝鮮は遅れており、わがくにも30年前には尊王攘夷だった。支援すればきっと治るのだ。その後の金玉均支援とか朝鮮改造計画とかいう動きは、こうした理念からでてきており、朝鮮人はそうした期待を見事に裏切りました。たしかいまだ、わが国も60年前まではファシズムだった、なんていって拉致や核を正当化する新聞もあったような気がします。自由に行き来して話し合いなんか、不可能でしょうが。むろん強硬論といってもこの当時は日清開戦や諸外国の干渉などをおそれ、徹底的な責任追及と処罰、公使館を焼かれた損害賠償要求程度であって、征伐だあ、と叫んでいたのは野良右翼程度だったようです。
また、北朝鮮仰天スクープのたぐいも、120年前からありました。サヨクによる楽園幻想に相当するものとして、当時の朝鮮は漢文学者によるあいまいな空想や美化でおおわれていました。徳川も朝貢してくる李朝をういものとして接待していたので、人々は漠然とした「中華文化国」イメージを持っていたのです。しかし現実に行って見ると、大違い。城壁は貧弱、船はボロボロ、庶民の家は床もない竪穴式でドロと石でつくられ田舎便所ていどのおおきさ。原住民は臭くきたなく、政府ばかりかテロリストグループに脅されて訳の分からぬ冥加金まで献納させられている。明治の人々は失笑し、加藤清正の電光石火の城攻めや、伝説の朝鮮海軍を殲滅した加藤嘉明らの武功もたいしたことねえや、と苦笑したようです。秀吉の朝鮮征伐の記録や伝説には、敵を誇張して大げさに語ったものが多く、2メートル50センチの巨人がいたなどというものさえあったからです。
敵はばかで貧弱、文化の遅れたかわいそうな連中。こうした事実が知れ渡って、ますますばかを援助しようなどという話が膨らんでいったのでしょう。対等な国が卑劣な虐殺を行ったなら、いずれ完膚なき軍事報復に発展したでしょうが、けっきょく日朝(日韓)戦争といった破局を回避してきたのが、「朝鮮はしょせん精神薄弱国家」という侮蔑や憐憫にもとづいた日本側の優越感にあったのはまちがいないようです。草双紙にさえ、朝鮮人自身は悪くなく、大院君ひとりのわるだくみだった、などという早合点の「真相」(異聞)で締めくくられています。
ただ、『変報録』には、いわれもなく虐殺された、寸鉄も帯びない無抵抗な被害者の遺体が群集によって陵辱されたあげくバラバラに切り刻まれていた、などという朝鮮人固有の残忍かつ陰湿な殺害手口もみえており、民族の異常性に、明治の人々はもっと早く注目して欲しかったと悔やまれてなりません。包丁男金九などによって、同じ手口が執拗に、何度となく粘着質に繰り返されてきたのですから。そしてその恥ずべき犯人が、あろうことか民族英雄として歪曲され、本人はもちろん子孫代々に至るまで、血塗られた韓国政府の高官になっているのです。このことは韓国人に対する見方に、いつまでも暗い影を落としていくでしょう。奪われた人権は、李氏朝鮮がどれだけ血で償っても解決したことにはならない、と私は考えています。
新聞各紙の社説で面白いのは、自由民権時代当時から、自由に行き来して話し合い、という軟派論が多かったことです。朝鮮は遅れており、わがくにも30年前には尊王攘夷だった。支援すればきっと治るのだ。その後の金玉均支援とか朝鮮改造計画とかいう動きは、こうした理念からでてきており、朝鮮人はそうした期待を見事に裏切りました。たしかいまだ、わが国も60年前まではファシズムだった、なんていって拉致や核を正当化する新聞もあったような気がします。自由に行き来して話し合いなんか、不可能でしょうが。むろん強硬論といってもこの当時は日清開戦や諸外国の干渉などをおそれ、徹底的な責任追及と処罰、公使館を焼かれた損害賠償要求程度であって、征伐だあ、と叫んでいたのは野良右翼程度だったようです。
また、北朝鮮仰天スクープのたぐいも、120年前からありました。サヨクによる楽園幻想に相当するものとして、当時の朝鮮は漢文学者によるあいまいな空想や美化でおおわれていました。徳川も朝貢してくる李朝をういものとして接待していたので、人々は漠然とした「中華文化国」イメージを持っていたのです。しかし現実に行って見ると、大違い。城壁は貧弱、船はボロボロ、庶民の家は床もない竪穴式でドロと石でつくられ田舎便所ていどのおおきさ。原住民は臭くきたなく、政府ばかりかテロリストグループに脅されて訳の分からぬ冥加金まで献納させられている。明治の人々は失笑し、加藤清正の電光石火の城攻めや、伝説の朝鮮海軍を殲滅した加藤嘉明らの武功もたいしたことねえや、と苦笑したようです。秀吉の朝鮮征伐の記録や伝説には、敵を誇張して大げさに語ったものが多く、2メートル50センチの巨人がいたなどというものさえあったからです。
敵はばかで貧弱、文化の遅れたかわいそうな連中。こうした事実が知れ渡って、ますますばかを援助しようなどという話が膨らんでいったのでしょう。対等な国が卑劣な虐殺を行ったなら、いずれ完膚なき軍事報復に発展したでしょうが、けっきょく日朝(日韓)戦争といった破局を回避してきたのが、「朝鮮はしょせん精神薄弱国家」という侮蔑や憐憫にもとづいた日本側の優越感にあったのはまちがいないようです。草双紙にさえ、朝鮮人自身は悪くなく、大院君ひとりのわるだくみだった、などという早合点の「真相」(異聞)で締めくくられています。
ただ、『変報録』には、いわれもなく虐殺された、寸鉄も帯びない無抵抗な被害者の遺体が群集によって陵辱されたあげくバラバラに切り刻まれていた、などという朝鮮人固有の残忍かつ陰湿な殺害手口もみえており、民族の異常性に、明治の人々はもっと早く注目して欲しかったと悔やまれてなりません。包丁男金九などによって、同じ手口が執拗に、何度となく粘着質に繰り返されてきたのですから。そしてその恥ずべき犯人が、あろうことか民族英雄として歪曲され、本人はもちろん子孫代々に至るまで、血塗られた韓国政府の高官になっているのです。このことは韓国人に対する見方に、いつまでも暗い影を落としていくでしょう。奪われた人権は、李氏朝鮮がどれだけ血で償っても解決したことにはならない、と私は考えています。
これは メッセージ 2344 (mochikokuhou02 さん)への返信です.
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