つづき
投稿者: bosintang 投稿日時: 2004/01/11 02:17 投稿番号: [1758 / 3669]
もう一つ,正書法制定事業について。
小倉の著『国語及び朝鮮語のため』によれば,朝鮮語への関心が高まったのは,日清戦争後,朝鮮が清から独立したのに伴うもので,94年の甲午改革により法律勅令の正文がハングル文または漢字ハングル混じり文と定められて以降だった。先に挙げた李能和が辞典制定に関する意見書を学部に提出し,周時経が国文学校を設立してハングル教育を始めた。
統監府で教科書を発行するという実際的な必要のため,標準語と正書法を決める必要があったが,結論が出ないまま,教科書が出てしまう。併合後,総督府で再び正書法制定が試みられ,12年に「普通学校用諺文綴字法」が完成するが,このときの委員は日本人4人,朝鮮人4人。日本人には金沢庄三郎が含まれているが,小倉の名前はない。
21年には,日本人3人+朝鮮人8人で改訂作業が行われるが,小倉はここにも参加していない。
小倉が参加するのは,29年の諺文綴字法調査会(第二次)からで,このときの成果は30年『諺文綴字法』の公布に結実する。第一次調査会は朝鮮人のみ4人,第二次は朝鮮人9人,日本人5人。
このときは,小倉の主張(形態素主義)が通ったが,そもそもこの主張は,周時経のものだった。
以上,近代朝鮮語の確立に、小倉はそれほど関わっていなかった、ということのようです。
よく、近代朝鮮語を確立したのは小倉だ、という言われ方がするけれど、やれ、日帝時代に日本は朝鮮語を禁止したの、弾圧したの、抹殺政策だの、という中傷に対してのアンチテーゼとして、少々誇張されちゃったのじゃないかな。
これは メッセージ 1757 (bosintang さん)への返信です.
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