◆コリア関連書籍◆

Yahoo! Japan 掲示板トピックビューアー

[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

「日本馬事文化の源流」

投稿者: tuka_chan 投稿日時: 2001/05/25 03:24 投稿番号: [131 / 3669]
筑波大学の増田精一教授が、ロシア・中東、中国、朝鮮、日本の各地の遺跡・遺物・文献から、ユーラシア大陸の「馬の文化」はどのように日本に伝わってきたのかについて述べています。

朝鮮半島についても遺物を中心に考察しています。注目すべきはこれらの考察から日本の騎馬民族征服説を否定しているところです。


「草原遊牧民の間に毛織物の生産の高まるなか、重装騎馬戦闘に耐えうる固定した鞍、鎧が普及していった。・・・日本でも古墳時代になると各地域を掌握する豪族が出現、その点は平原と軌を等しくしているが、日本には騎馬戦闘の風はなかった。騎馬戦闘には種々の武器が必要で、特に騎乗のまま弓矢を用いるには、直進する矢、三翼鏃が必要であるのに、日本では弥生、古墳時代を通じ両翼鏃が用いられていた。騎射の風のなかったことを物語っている。」

「草原の遊牧民の間で騎馬戦闘は、軽装騎馬戦闘方式から重装騎馬戦闘方式へと変化していった。この現象は中国にも伝わり、漢代は軽装騎馬戦闘が行われたが、三国・六朝時代には重装騎馬戦に長じた鮮卑族が中国に侵入、大同を都とする北魏王朝を建設、重装騎馬の風が定着していった。馬鎧をつけ、木製の鞍をつけることなど、その表れで、その鞍の構造を示す資料は中国河南省孝民屯、遼寧省朝陽県袁台子所在の晋代の墓より出土している。鞍構成の基本である木質部は残っていないが、鞍橋を飾る金具、居木に胸繁、尻繁をつける金具などが見出され、それは・・・居木突出鞍であった。」

「・・・以上、朝鮮半島南部及び日本の古墳出土の鞍の構造について述べたが、それは重装騎馬戦闘用の木鞍の延長上にあるとはいえ、構成に違いがあり、実戦に用いる鞍ではなく、装飾に富んだ儀仗用の馬具であった。ちなみに、後期古墳より馬装具が出土することから、大陸からの騎馬民族の侵入により、大和政権が成立したという説があるが、後期古墳出土の馬具、その中核をなす鞍の構造から考えると、その説は承認できない。・・・重装騎馬戦闘に欠かせない居木突出鞍は、三国時代、高句麗に伝わったにとどまり、古新羅、百済、そして日本の古墳時代豪族使用の鞍はそれを変形した特殊構造であった。」


専門的すぎてなかなか理解するのが難しい本でした。
[ << 最初のページ | < 前のページ | メッセージリスト | 掲示板表示 | [ メッセージ # ] | 次のページ > | 最後のページ >> ]

Yahoo! Japan 掲示板 アーカイヴ

[検索ページ] (中東) (東亜) (捕鯨 / 捕鯨詳細)