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盗賊国家の成立(2)

投稿者: mochikokuhou02 投稿日時: 2005/09/10 05:04 投稿番号: [529 / 2503]
  刀伊については『百錬抄』寛仁三年(1019)の条

○   諸卿、大宰府の言上せる「新羅が賊、辺境を侵したるの状」を定申す。

  このとき、大弐藤原隆家が殺人鬼の一部を捕縛したところ、全員が王氏高麗人でした。逃げ帰った犯人グループから事情を知った高麗王・王詢は姦計をめぐらし、責任逃れのために拉致被害者の一部を返還、「日本が捕まえた高麗人は刀伊国に強制されてやっただけで、むしろ被害者」「日本人を救出した我方はむしろ恩人」などとあられもないウソをいい、交換条件をつけて犯人の身柄を騙し盗りました。秀吉の時代にも日本側が捕らえた沙(車)火洞あるいは沙也可という韓寇の首領を騙し盗って開戦を挑発するなどしています。
  韓国側の見え透いたウソに従う文明国がわの「事なかれ主義」はいまも変わりがありません。刀伊などという国は存在しないのです。


  同趣同工の高麗韓寇の偽証のひとつに「南蛮の賊」というのがあります。南蛮とは済州島のことで、神功紀49年に「ありひしのからくに」の当て字としてみえています。
  『百錬抄』長徳三年(997)の条をみましょう。

○   十一月一日。旬。南殿に出御のあいだ、大宰府の飛駅、到来す。「高麗国人、鎮西を虜掠したるの由」を申す。

翌二月には「大宰府、高麗国人を追伐す」とみえ、『日本紀略』や「小右記」などにも列記されています。この長徳の韓寇は五島を中心に襲ったもので、捕縛するとここでも「南蛮の賊にだ」とウソをついた。しかし済州島は当時耽羅アワビなどといって肥前国に貢納していた(延喜式)弱小国であるから、みずからお得意先を失うことは考えにくく、高麗人を使役するほどの力もなかったとおもいます。
  耽羅はモンゴルの属国となったのちに李氏朝鮮、大韓民国などの侵略と住民抹殺をへて、韓族の植民地となったにすぎません。


  同年6月13日の条にも奇妙な記述があります。

○   諸卿、高麗国が牒状のことを定申す。僉議するに、「返牒を遣はすべからず、要害を警護すべし」。また牒状、「高麗国が牒に似ず」。これ、大宋国の謀略か。

  この当時、日支関係はいまと違って良好で、大宋は分裂した唐(五代)を統一し、のち皇帝みずからが使者を通じ多くの贈答品を携えて日本に朝貢してくるようになったので、謀略というのは原資料当時(997)の誤った感想にすぎません。また「高麗国が牒」という言葉にも注意が必要です。牒、というのは遣隋使いらい日支間でたがいに正式な国書の受け取りを停止していた( 空海 「福州の観察使に与ふる書」参照) ので、「故意に実務文書(牒)の形態をとった国書」のことです。
  古来日本でいうところの「高麗」とは「朱蒙(スームー)高句麗」や「大氏高麗(震国。唐名・渤海王国。のち東丹などと自称)」を指します。これらは唐の属国でもあるため対等な国家として認められず、日本への朝貢にはやはり牒を用いさせていました。おそらく、今回の王氏高麗はほんらいの「高麗(当時は東丹国として朝貢)」とは全くべつの新羅民族による贋物であることがしだいに明らかとなり、かつて日本が断交していた敵対国家・新羅が「糞土臣」として仕えていた唐土との旧関係を疑ったのかもしれません。しかし、実際には王氏が「高麗」と名乗ったのは僭称にすぎず、大宋による正式な冊封ではなかったのです。
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