Re: 議論が長引いても… お言葉に甘えて4
投稿者: whiteandblack998 投稿日時: 2005/12/19 15:22 投稿番号: [3414 / 19672]
歌も、恋の歌とかは全然だめで、
軍歌ばかり歌わされたそうです。
母が教えられた軍歌をちょっと歌います。
「朱に染まつてにっこりと
笑つて死んだ戦友が
天皇陛下ばんざいと
のこした声が
忘らりよか」
ここまで歌って、母はいいます。
「バカな歌だねえ。
いったいどこの誰が死ぬときに
天皇陛下ばんざいなんて言うんだよ。
人間はね、死ぬときはね、
おとうさんやおかあさんや奥さんや
子供の名前を呼ぶんだよ。
そうに決まってるじゃないか。
ほんとにバカな歌だ。
こんなもの歌わされていたんだよ。
だけど文句をいったらね、
特高がきて連れて行かれて
ひどい目に合わされたんだよ。
だから従うほかなかったんだよ。」
ちなみに母は結婚して1年とすこしで
夫を軍隊にとられています。
彼は、戦地から帰ってきませんでした。
当時は男が戦地に行く前に
かけ込みで結婚するというはよくあったように聞いています。
戦争が終わったとき、母は、よかったと思ったそうです。
これでもう乳飲み子をかかえて逃げ回らなくてすむ。
夜中に空襲におびえながら防空壕に隠れなくてすむと。
赤ん坊を抱えていると、防空壕でも肩身が狭い思いを
したそうです。
しかし、たとえ日本の負けでも、
とにかく戦争が終わって良かったなどというと
まずいことになるので、
バンザイは心の中だけにしておいたそうです。
アメリカ軍が上陸してくる前、うわさが流れました。
つまり、男はみんな殺されて女はみんな犯される、などと
いうウワサです。だから田舎のあるひとはみんな財産を
持って田舎に逃げてしまいました。母は横浜が地元なので
行くところがありません。どうしようかと思っていたら、
近所に役人の奥さんがいて、国際法というものがある、
アメリカ軍はそんなことはしない、と言ったので、
横浜に残る事にしたのだそうです。
でも、実際にアメリカ軍が上陸してくるまでは心配だった
そうです。
アメリカ軍はジープでチョコレートなどをばらまいて
走ったそうですが、母ももらいました。
一度などは、ジープから投げられたものをキャッチしたら、
横からひったくられて取られてしまったのです。
そうしたら先に行きかかっていたジープが止まったのです。
アメリカ兵が降りてきたので、周りの日本人の大人は
みんな逃げました。(子どもは逃げなかったようです。)
なんだと思ったら、母に特別大きな箱をしっかり
手渡しでくれたそうです。
赤ん坊を飢えさせていましたので・・・
涙がでるほどありがたかったそうです。
母に言わせればの話、
日本は戦争に負けて良かったのだそうです。
戦前は女には選挙権もなかった。
学校も、女に学問は必要ないといわれていた。
母は勉強したかったが学校に行かせてもらえなかった。
かわりに借金のかたに奉公に出されていました。
今の日本では当たり前になっている「人権」とか
「権利」とかいったものの多くは、
戦前、特に女にはほとんどなかった。
まあ、話をしようと思えばまだまだありますが.....
このへんでやめましょう。
私はこんな話を子どものころから、
ずっと聞かされて育ったのです。
>天皇とは日本国そのもの、日本国民全体そのもの、日本文化そのもの
この一行は、それを書いた方の本意や文章の前後の脈絡とは関係なく、
わたしの母の苦しかった時代をわたしに思い起こさせるのです。
まあ、一種のアレルギー反応みたいなものでしょうか。(笑)
わたしは昭和天皇や今の皇室を敬愛するものですが・・・
このアレルギーが抜けることは無いかなとも思っています。
これは矛盾するようかも知れませんが・・・
いつだったか、米長名人が「子供たちに君が代を歌わせることが
わたしの仕事」と発言した時に、
陛下が「強制は望ましくない」とおっしゃった旨、
同じような矛盾を内包しているようにも思います。
軍歌ばかり歌わされたそうです。
母が教えられた軍歌をちょっと歌います。
「朱に染まつてにっこりと
笑つて死んだ戦友が
天皇陛下ばんざいと
のこした声が
忘らりよか」
ここまで歌って、母はいいます。
「バカな歌だねえ。
いったいどこの誰が死ぬときに
天皇陛下ばんざいなんて言うんだよ。
人間はね、死ぬときはね、
おとうさんやおかあさんや奥さんや
子供の名前を呼ぶんだよ。
そうに決まってるじゃないか。
ほんとにバカな歌だ。
こんなもの歌わされていたんだよ。
だけど文句をいったらね、
特高がきて連れて行かれて
ひどい目に合わされたんだよ。
だから従うほかなかったんだよ。」
ちなみに母は結婚して1年とすこしで
夫を軍隊にとられています。
彼は、戦地から帰ってきませんでした。
当時は男が戦地に行く前に
かけ込みで結婚するというはよくあったように聞いています。
戦争が終わったとき、母は、よかったと思ったそうです。
これでもう乳飲み子をかかえて逃げ回らなくてすむ。
夜中に空襲におびえながら防空壕に隠れなくてすむと。
赤ん坊を抱えていると、防空壕でも肩身が狭い思いを
したそうです。
しかし、たとえ日本の負けでも、
とにかく戦争が終わって良かったなどというと
まずいことになるので、
バンザイは心の中だけにしておいたそうです。
アメリカ軍が上陸してくる前、うわさが流れました。
つまり、男はみんな殺されて女はみんな犯される、などと
いうウワサです。だから田舎のあるひとはみんな財産を
持って田舎に逃げてしまいました。母は横浜が地元なので
行くところがありません。どうしようかと思っていたら、
近所に役人の奥さんがいて、国際法というものがある、
アメリカ軍はそんなことはしない、と言ったので、
横浜に残る事にしたのだそうです。
でも、実際にアメリカ軍が上陸してくるまでは心配だった
そうです。
アメリカ軍はジープでチョコレートなどをばらまいて
走ったそうですが、母ももらいました。
一度などは、ジープから投げられたものをキャッチしたら、
横からひったくられて取られてしまったのです。
そうしたら先に行きかかっていたジープが止まったのです。
アメリカ兵が降りてきたので、周りの日本人の大人は
みんな逃げました。(子どもは逃げなかったようです。)
なんだと思ったら、母に特別大きな箱をしっかり
手渡しでくれたそうです。
赤ん坊を飢えさせていましたので・・・
涙がでるほどありがたかったそうです。
母に言わせればの話、
日本は戦争に負けて良かったのだそうです。
戦前は女には選挙権もなかった。
学校も、女に学問は必要ないといわれていた。
母は勉強したかったが学校に行かせてもらえなかった。
かわりに借金のかたに奉公に出されていました。
今の日本では当たり前になっている「人権」とか
「権利」とかいったものの多くは、
戦前、特に女にはほとんどなかった。
まあ、話をしようと思えばまだまだありますが.....
このへんでやめましょう。
私はこんな話を子どものころから、
ずっと聞かされて育ったのです。
>天皇とは日本国そのもの、日本国民全体そのもの、日本文化そのもの
この一行は、それを書いた方の本意や文章の前後の脈絡とは関係なく、
わたしの母の苦しかった時代をわたしに思い起こさせるのです。
まあ、一種のアレルギー反応みたいなものでしょうか。(笑)
わたしは昭和天皇や今の皇室を敬愛するものですが・・・
このアレルギーが抜けることは無いかなとも思っています。
これは矛盾するようかも知れませんが・・・
いつだったか、米長名人が「子供たちに君が代を歌わせることが
わたしの仕事」と発言した時に、
陛下が「強制は望ましくない」とおっしゃった旨、
同じような矛盾を内包しているようにも思います。
これは メッセージ 3413 (whiteandblack998 さん)への返信です.
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