韓国の新しい歴史教科書 発表(2)
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2008/03/23 16:34 投稿番号: [844 / 1474]
<教科書フォーラム、大韓民国の正統性を擁護する代案教科書を出刊>
[朝鮮日報] 2008年3月22日(土)
http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=4&articleid=2008032223014420734&newssetid=1352
(続き)
5.16は「クーデター」、維新は「絶対権力」
5.16については、「一部の軍部勢力が憲法手続を経て樹立された政府を不法的に転覆したクーデター」(180p)と規定した。去る2006年11月の試案公開当時、「5月革命」と敍述して論難をもたらした部分に修正を加えたのだ。当時、4.19を「革命」ではなく「学生運動」と表現して4.19関連団体員たちの反発を招いた部分についても、「4.19民主革命」(173p)と修正した。
しかし、5.16と朴正煕時代に対する基本立場は、「クーデターで成立した政府だが、産業化と近代化を成した政権」だったと言う。「1961年に82ドルに過ぎなかった1人当り国民所得が、1987年に3,218ドルに急成長し、1995年には1万ドルを超過した。これは世界資本主義の歴史で前例が珍しい奇跡的な成長だった。急激な経済成長は、韓国人の物質生活と精神生活に革命的な変化をもたらした。そんな点から、5.16クーデターは近代化革命の出発点でもあった。」(181p)とした。
十月維新に対しては、「維新体制は、どんな国家機構の統制も受けない大統領の絶対権力を成立させた。代議制民主主義の政治原理は消滅し、命令による行政が支配する行政国家が全面に登場した。」(205p)と政治的な意味では否定的に敍述した。しかし、「朴正煕は、自分に集中させた行政国家の力量を総動員して、自主国防と重化学工業化を力強く推進した。」(207p)とも敍述した。
5.18に関しては「光州民主化運動」と敍述した(218p)。「光州市民と戒厳軍との間の衝突は、新軍部が維新体制を事実上存続させて不当に執権を確保しようとしたことに対する国民の抵抗であり、民主化運動だった。」(219~220p)と記述したが、以後、「光州事件に対するアメリカ責任論」が提起されたことに言及して、「それによって、その時まで維新体制と新軍部に抵抗した民主化勢力は、徐々に反米民族主義勢力へと変わって行った。」(220p)と書いた。
6.15首脳会談は体制論争誘発
この本は、金大中政府の太陽政策に対しては批判的に敍述した。2006年6月15日、南北首脳会談を太陽政策の絶頂と評価した後、5ヶ条から成る南北共同宣言の第2条が、「南と北が連合制と緩やかな連邦制の案には共通性があると認めてこの方向で統一を志向して行く事にした。」と言っていることに対して、「統一国家の理念的土台を明確にしなかったために、南韓内で深刻な体制論争を誘発した。」(250p)と書いた。また、「南韓の少なくない国民は、この宣言が大韓民国憲法第4条で、大韓民国は統一を志向して、自由民主的基本秩序に即した平和的統一政策を樹立しこれを推進する、と規定された内容とどんな関係にあるのか、疑問を申し立てた。」(同ページ)と敍述した。
また、「未だ、太陽政策が期待した北韓の改革開放は成り立っていない。北韓政府は共産主義を志向する集団生産と集団分配の経済体制を公式的にあきらめておらず、個人の政治的権利と財産権と経済活動の自由を保障する立法措置も取らなかった。」(250p)と記した。
補論としての北韓現代史は、「北韓の建国」、「6.25戦争と全体主義体制の始まり」、「国防、経済の併進と主体思想の登場」、「権力世襲と金正日時代の開幕」、「脱冷戦時代の到来と北韓の危機」という5節に分けて敍述する。「解放後と建国当初の北韓は、外でもないスターリンの国だった。」(281p)と、正統性においてすごく脆弱な政府であることを強調し、300万人が飢死した1990年代の大規模飢饉は、「ひたすら北韓の政治・経済体制の矛盾から始まったこと」(296p)で、「現在、北韓体制を維持している唯一の力は先軍政治の暴力」(301p)と書いた。
(続く)
[朝鮮日報] 2008年3月22日(土)
http://kr.news.yahoo.com/service/news/shellview.htm?linkid=4&articleid=2008032223014420734&newssetid=1352
(続き)
5.16は「クーデター」、維新は「絶対権力」
5.16については、「一部の軍部勢力が憲法手続を経て樹立された政府を不法的に転覆したクーデター」(180p)と規定した。去る2006年11月の試案公開当時、「5月革命」と敍述して論難をもたらした部分に修正を加えたのだ。当時、4.19を「革命」ではなく「学生運動」と表現して4.19関連団体員たちの反発を招いた部分についても、「4.19民主革命」(173p)と修正した。
しかし、5.16と朴正煕時代に対する基本立場は、「クーデターで成立した政府だが、産業化と近代化を成した政権」だったと言う。「1961年に82ドルに過ぎなかった1人当り国民所得が、1987年に3,218ドルに急成長し、1995年には1万ドルを超過した。これは世界資本主義の歴史で前例が珍しい奇跡的な成長だった。急激な経済成長は、韓国人の物質生活と精神生活に革命的な変化をもたらした。そんな点から、5.16クーデターは近代化革命の出発点でもあった。」(181p)とした。
十月維新に対しては、「維新体制は、どんな国家機構の統制も受けない大統領の絶対権力を成立させた。代議制民主主義の政治原理は消滅し、命令による行政が支配する行政国家が全面に登場した。」(205p)と政治的な意味では否定的に敍述した。しかし、「朴正煕は、自分に集中させた行政国家の力量を総動員して、自主国防と重化学工業化を力強く推進した。」(207p)とも敍述した。
5.18に関しては「光州民主化運動」と敍述した(218p)。「光州市民と戒厳軍との間の衝突は、新軍部が維新体制を事実上存続させて不当に執権を確保しようとしたことに対する国民の抵抗であり、民主化運動だった。」(219~220p)と記述したが、以後、「光州事件に対するアメリカ責任論」が提起されたことに言及して、「それによって、その時まで維新体制と新軍部に抵抗した民主化勢力は、徐々に反米民族主義勢力へと変わって行った。」(220p)と書いた。
6.15首脳会談は体制論争誘発
この本は、金大中政府の太陽政策に対しては批判的に敍述した。2006年6月15日、南北首脳会談を太陽政策の絶頂と評価した後、5ヶ条から成る南北共同宣言の第2条が、「南と北が連合制と緩やかな連邦制の案には共通性があると認めてこの方向で統一を志向して行く事にした。」と言っていることに対して、「統一国家の理念的土台を明確にしなかったために、南韓内で深刻な体制論争を誘発した。」(250p)と書いた。また、「南韓の少なくない国民は、この宣言が大韓民国憲法第4条で、大韓民国は統一を志向して、自由民主的基本秩序に即した平和的統一政策を樹立しこれを推進する、と規定された内容とどんな関係にあるのか、疑問を申し立てた。」(同ページ)と敍述した。
また、「未だ、太陽政策が期待した北韓の改革開放は成り立っていない。北韓政府は共産主義を志向する集団生産と集団分配の経済体制を公式的にあきらめておらず、個人の政治的権利と財産権と経済活動の自由を保障する立法措置も取らなかった。」(250p)と記した。
補論としての北韓現代史は、「北韓の建国」、「6.25戦争と全体主義体制の始まり」、「国防、経済の併進と主体思想の登場」、「権力世襲と金正日時代の開幕」、「脱冷戦時代の到来と北韓の危機」という5節に分けて敍述する。「解放後と建国当初の北韓は、外でもないスターリンの国だった。」(281p)と、正統性においてすごく脆弱な政府であることを強調し、300万人が飢死した1990年代の大規模飢饉は、「ひたすら北韓の政治・経済体制の矛盾から始まったこと」(296p)で、「現在、北韓体制を維持している唯一の力は先軍政治の暴力」(301p)と書いた。
(続く)
これは メッセージ 843 (chaamiey さん)への返信です.
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