Re: 座間味島「集団自決」で新証言 2
投稿者: doronpa95 投稿日時: 2008/03/04 03:55 投稿番号: [832 / 1474]
宮平証言
梅澤氏の「潔白」裏付け
「軍命」肯定派に致命的打撃
梅澤裕氏は、故赤松嘉次(よしつぐ)陸軍海上挺進第三戦隊長の弟、赤松秀一氏とともに、岩波書店と大江健三郎氏を相手取って名誉毀損(きそん)訴訟を大阪地裁に起こしている。
梅澤氏は陳述書で、村の幹部と交わしたやりとりは「決して自決するでない。軍は陸戦の止むなきに至った。我々は持久戦により持ちこたえる。村民も壕(ごう)を掘り食糧を運んであるではないか。壕や勝手知った山林で生き延びて下さい。共に頑張りましょう。弾薬、爆薬は渡せない」と述べている。
今回の宮平証言は、この発言を裏付けるものである。
また、本部壕そばの通信隊にいた長島義男氏(昭和六十一年死去)の手記にも、この村長と梅澤隊長が面談した場面が記録されていた。
「この時、国民学校の校長と村三役が青年有志二、三名と連れだって本部に来た。眼が血走り、顔はそう白にまで変わっていた。悲壮というか、壮絶というか、その研ぎ澄まされた人間の真剣味に我我兵隊さえりつ然とさせられた。やむを得ないことである。祖国のこの土を、自己の住むこの土地が有史以来最初に敵の醜足に踏みにじられようとしているのだ、この小島で、この防備で無限のあり余る敵の物量に抗し得るとはだれが信じられよう。(中略)
玉砕を玉砕の文字のとおりに解釈しようというのである。然し部隊には渡すべき手りゅう弾も、ダイナマイトも、劇薬もないのである。また、義勇兵を結成しようという有志の言葉にも与えるべき武器もないという実状であった」(アンピス会編『思い出の東部第十部隊』昭和六十一年発行)
この場面に立ち会った宮城初枝さんは手記で、梅澤氏が「今晩は一応お帰りください」とだけ発言したことになっている。そのため初枝さんの娘、宮城晴美氏や林博史・関東学院大学教授、沖縄戦研究家の大城将保氏、大江健三郎氏は、梅澤氏が「自決するな」と厳しく命じなかったことを非難。大江氏に至っては、「自決するな」と命じなかったことが隊長の「自決命令」に当たるという強引な解釈を昨年十一月九日、法廷で披露した。
また宮城氏は昨年七月二十七日の証人尋問で、これまでの取材の中で誰かから「死なないで」と言われたために自決を思いとどまったケースがたくさんあると述べ、連隊長だった梅澤氏が「死なないで」という一言を発していれば「住民は救われたというふうに私は考えております」と発言している。
この宮城発言と宮平証言を合わせれば、村の幹部を厳しく諫(いさ)めた梅澤発言のおかげで、自決を思いとどまった住民が数多くいたことを立証するものとなる。長く定説として流布された「軍の命令・強制・関与」は明確に否定された。
さらに、軍命肯定派で論客の一人、安仁屋政昭・沖縄国際大学名誉教授が主張する「合囲地境」(ごういちきょう)理論との関係で見ると「これまでとは全く違った光景が見えてくる」と指摘するのは藤岡信勝・拓殖大学教授である。
安仁屋氏によれば、「合囲地境」とは「空も海も陸もすべて敵に囲まれている」状況を指す。そのような状況にあった座間味島では梅澤隊長が全権を握り、民政は存在しなかった。例えば兵事主任の役場職員が住民に「もう最後ですから死にましょう」と伝えたとしても、その伝えは軍命と受け取るべきだという論旨を展開して、安仁屋氏は最高責任者である梅澤隊長を批判してきた。
「しかし実際は、野村村長が隊長の命を受けて村民に『自決するな』と伝えて、解散を指示しています。安仁屋氏の『合囲地境』論でいけば、『自決するな』こそが、軍の意思であり“命令”だったことになり、梅澤隊長を批判することは一切できなくなります」と藤岡氏。
梅澤隊長の「自決するな」発言が確定したことで、宮城晴美発言も安仁屋「合囲地境」理論も、梅澤氏が座間味島の恩人であることを浮き彫りにする結果となった。
宮平証言により、軍命肯定派の学者・文化人、メディアは「軍命」の根拠を失う致命的な打撃を受けることとなる。
さらに続く
「軍命」肯定派に致命的打撃
梅澤裕氏は、故赤松嘉次(よしつぐ)陸軍海上挺進第三戦隊長の弟、赤松秀一氏とともに、岩波書店と大江健三郎氏を相手取って名誉毀損(きそん)訴訟を大阪地裁に起こしている。
梅澤氏は陳述書で、村の幹部と交わしたやりとりは「決して自決するでない。軍は陸戦の止むなきに至った。我々は持久戦により持ちこたえる。村民も壕(ごう)を掘り食糧を運んであるではないか。壕や勝手知った山林で生き延びて下さい。共に頑張りましょう。弾薬、爆薬は渡せない」と述べている。
今回の宮平証言は、この発言を裏付けるものである。
また、本部壕そばの通信隊にいた長島義男氏(昭和六十一年死去)の手記にも、この村長と梅澤隊長が面談した場面が記録されていた。
「この時、国民学校の校長と村三役が青年有志二、三名と連れだって本部に来た。眼が血走り、顔はそう白にまで変わっていた。悲壮というか、壮絶というか、その研ぎ澄まされた人間の真剣味に我我兵隊さえりつ然とさせられた。やむを得ないことである。祖国のこの土を、自己の住むこの土地が有史以来最初に敵の醜足に踏みにじられようとしているのだ、この小島で、この防備で無限のあり余る敵の物量に抗し得るとはだれが信じられよう。(中略)
玉砕を玉砕の文字のとおりに解釈しようというのである。然し部隊には渡すべき手りゅう弾も、ダイナマイトも、劇薬もないのである。また、義勇兵を結成しようという有志の言葉にも与えるべき武器もないという実状であった」(アンピス会編『思い出の東部第十部隊』昭和六十一年発行)
この場面に立ち会った宮城初枝さんは手記で、梅澤氏が「今晩は一応お帰りください」とだけ発言したことになっている。そのため初枝さんの娘、宮城晴美氏や林博史・関東学院大学教授、沖縄戦研究家の大城将保氏、大江健三郎氏は、梅澤氏が「自決するな」と厳しく命じなかったことを非難。大江氏に至っては、「自決するな」と命じなかったことが隊長の「自決命令」に当たるという強引な解釈を昨年十一月九日、法廷で披露した。
また宮城氏は昨年七月二十七日の証人尋問で、これまでの取材の中で誰かから「死なないで」と言われたために自決を思いとどまったケースがたくさんあると述べ、連隊長だった梅澤氏が「死なないで」という一言を発していれば「住民は救われたというふうに私は考えております」と発言している。
この宮城発言と宮平証言を合わせれば、村の幹部を厳しく諫(いさ)めた梅澤発言のおかげで、自決を思いとどまった住民が数多くいたことを立証するものとなる。長く定説として流布された「軍の命令・強制・関与」は明確に否定された。
さらに、軍命肯定派で論客の一人、安仁屋政昭・沖縄国際大学名誉教授が主張する「合囲地境」(ごういちきょう)理論との関係で見ると「これまでとは全く違った光景が見えてくる」と指摘するのは藤岡信勝・拓殖大学教授である。
安仁屋氏によれば、「合囲地境」とは「空も海も陸もすべて敵に囲まれている」状況を指す。そのような状況にあった座間味島では梅澤隊長が全権を握り、民政は存在しなかった。例えば兵事主任の役場職員が住民に「もう最後ですから死にましょう」と伝えたとしても、その伝えは軍命と受け取るべきだという論旨を展開して、安仁屋氏は最高責任者である梅澤隊長を批判してきた。
「しかし実際は、野村村長が隊長の命を受けて村民に『自決するな』と伝えて、解散を指示しています。安仁屋氏の『合囲地境』論でいけば、『自決するな』こそが、軍の意思であり“命令”だったことになり、梅澤隊長を批判することは一切できなくなります」と藤岡氏。
梅澤隊長の「自決するな」発言が確定したことで、宮城晴美発言も安仁屋「合囲地境」理論も、梅澤氏が座間味島の恩人であることを浮き彫りにする結果となった。
宮平証言により、軍命肯定派の学者・文化人、メディアは「軍命」の根拠を失う致命的な打撃を受けることとなる。
さらに続く
これは メッセージ 831 (doronpa95 さん)への返信です.
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