百済武寧王について(13)
投稿者: toapanlang 投稿日時: 2007/02/13 23:48 投稿番号: [493 / 1474]
久々にイヤ論文のイヤな世界です。
お題は相変わらず蘇鎮轍「金石文に見る百済武寧王の世界」です。今回からは武寧王の正体について。
・・・・・・・
Ⅴ 倭王武の上表文(四七八年)を見て
――倭王武は武寧王の少年時代――
三 倭王武の上表文は百済救援書
倭王「武」が四七八年(昇明二年)、宋の順帝に捧呈した上表文は(5)、長い文章ではなかった。しかしそこには実に驚く程の歴史的史実が記録されており、これは五世紀頃の百済と倭の関係ばかりでなく、東アジア諸国の関係までも、理解するにおいて必須的な史料であるといえよう。
四七五年、高句麗長寿王の大攻勢のため、百済の都城(慰礼城)は陥落され、その後蓋鹵王と王妃や王子など百済王家一族が、高句麗の将帥にとらわれ残酷に殺害されるなど、百済は建国後最悪の危機に出遭ったのである。
倭王「武」の上表文は、正しくこのような急迫した事態の百済を支援するための哀切きわまりない訴え(6)であり、これは四七二年蓋鹵王生存の時、王が高句麗の攻勢を受け魏の高祖に送った救援のための上表文(百済救援書)と同じもので(7)、その形式と内容において両方(8)の上奏はほぼ似通っている点が一、二だけではない。
「武」はこの上表文で自身の「倭国」を(百済)の「封国」という概念をもって紹介しており、彼はそとの「藩」になりたいと念をおした。特に自身の祖先らは昔から輝かしい軍事的業績を収め、おおよそ二〇〇を越す周辺の大小国を平定し、今はその「畿」を大きく広め「王道は融泰」であると言った。
封国偏遠(9) 作藩于外 自昔祖祷 躬還甲冑 跋渉山川 不礬寧所 東征毛人(10) 五十五国 西服 象夷六十六国 渡平海北九十五国(11) 王道融泰 郭土遐畿 累葉朝宗 不愆于歳
そして、彼自身はたとえ愚直ではあるが、先代を継ぎ国を平安にし「天極」を全うしたと言う。百済へ行く道は遠く船に乗らざるを得ない。しかし、「句驪」は無道でわれわれをうのみにしようとし、辺隷を略奪するためすべてのことが遅滞し、往来がむずかしくなったと言うのである。
臣雖下愚 添胤先緒 駆率所統 帰崇天極 道遥百済(12) 装治船舫 而句驪無道 図欲見呑 掠抄辺隷 虔劉不已 毎到稽滞 以失良風 雖日進路 或通或不
・・・・・・・
>「武」はこの上表文で自身の「倭国」を(百済)の「封国」という概念をもって紹介しており、彼はそとの「藩」になりたいと念をおした。
「封国偏遠 作藩于外」ってのは、わが国は(宋から)遠く、辺境の諸侯(藩)となっています、って程度の意味ですから「封国」は、上表文を送る相手である宋以外を指すことはありません。妄想オシマイ。
お題は相変わらず蘇鎮轍「金石文に見る百済武寧王の世界」です。今回からは武寧王の正体について。
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Ⅴ 倭王武の上表文(四七八年)を見て
――倭王武は武寧王の少年時代――
三 倭王武の上表文は百済救援書
倭王「武」が四七八年(昇明二年)、宋の順帝に捧呈した上表文は(5)、長い文章ではなかった。しかしそこには実に驚く程の歴史的史実が記録されており、これは五世紀頃の百済と倭の関係ばかりでなく、東アジア諸国の関係までも、理解するにおいて必須的な史料であるといえよう。
四七五年、高句麗長寿王の大攻勢のため、百済の都城(慰礼城)は陥落され、その後蓋鹵王と王妃や王子など百済王家一族が、高句麗の将帥にとらわれ残酷に殺害されるなど、百済は建国後最悪の危機に出遭ったのである。
倭王「武」の上表文は、正しくこのような急迫した事態の百済を支援するための哀切きわまりない訴え(6)であり、これは四七二年蓋鹵王生存の時、王が高句麗の攻勢を受け魏の高祖に送った救援のための上表文(百済救援書)と同じもので(7)、その形式と内容において両方(8)の上奏はほぼ似通っている点が一、二だけではない。
「武」はこの上表文で自身の「倭国」を(百済)の「封国」という概念をもって紹介しており、彼はそとの「藩」になりたいと念をおした。特に自身の祖先らは昔から輝かしい軍事的業績を収め、おおよそ二〇〇を越す周辺の大小国を平定し、今はその「畿」を大きく広め「王道は融泰」であると言った。
封国偏遠(9) 作藩于外 自昔祖祷 躬還甲冑 跋渉山川 不礬寧所 東征毛人(10) 五十五国 西服 象夷六十六国 渡平海北九十五国(11) 王道融泰 郭土遐畿 累葉朝宗 不愆于歳
そして、彼自身はたとえ愚直ではあるが、先代を継ぎ国を平安にし「天極」を全うしたと言う。百済へ行く道は遠く船に乗らざるを得ない。しかし、「句驪」は無道でわれわれをうのみにしようとし、辺隷を略奪するためすべてのことが遅滞し、往来がむずかしくなったと言うのである。
臣雖下愚 添胤先緒 駆率所統 帰崇天極 道遥百済(12) 装治船舫 而句驪無道 図欲見呑 掠抄辺隷 虔劉不已 毎到稽滞 以失良風 雖日進路 或通或不
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>「武」はこの上表文で自身の「倭国」を(百済)の「封国」という概念をもって紹介しており、彼はそとの「藩」になりたいと念をおした。
「封国偏遠 作藩于外」ってのは、わが国は(宋から)遠く、辺境の諸侯(藩)となっています、って程度の意味ですから「封国」は、上表文を送る相手である宋以外を指すことはありません。妄想オシマイ。
これは メッセージ 461 (toapanlang さん)への返信です.
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