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百済武寧王について(7)

投稿者: toapanlang 投稿日時: 2006/12/21 12:27 投稿番号: [446 / 1474]
さて、今回も「金石文に見る百済武寧王の世界」(蘇鎮轍   彩流社)を紹介します。

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Ⅳ   七支刀銘文の新しい解釈
    ――倭王旨は百済の「王族」――

   四   「通説」を反駁する

1   「泰和四年」は中国の年号でない
  福山の日本「通説」は、はじめから銘文はおろかありもしない中国年号をひき出し、それをもって『書紀』神功紀を合理化する超銘文的な解釈に一貫しているが、そのような主張は事実でないばかりでなくまったく根拠もない想像にすぎないのである。
  国宝隅田八幡鏡の銘文には、百済武寧王(斯麻)の年代である「大王年・癸未年」(五〇三年)があり、また一九七一年韓国公州の宋山里古墳から出土された王の誌石には、百済斯麻王の崩年である「王崩・癸卯年」(五二三年)という事実があるが、これらを通じてみるとき武寧王は六十年の生涯(四六一−五二三年)を通じてただ自身の「大王年・干支紀年」とともに在世されたことが立証される。
  王のこのような「大王年・干支紀年」は、王の後世らも継続され、百済が唐によって滅ぼされる日まで存続されたのである。(21)   しかし、王の先世である蓋鹵王以前の年号はどういうものであったかは史料の欠如で記すすべがない。ただ武寧王の干支年代は、彼の先世にも使われたと思われるが、(22)このような干支年代は「時代的要求」によって持続してきた私年号から転換されたものとみられる。(23)
  百済での干支年代以前に私年代の存在を推定する理由は、四世紀高句麗の年号が独自的な私年代であったというのである。(24)   我々がよくわかっている広開土王碑文には「永楽」という好太王の私年代(三九一〜四一二)があるが、当時高句麗とは長い間宿敵関係を持続していた百済においても、そのような独自的な私年代制をもっていたと推定される。
  この点について、韓国の李丙菇は「七支刀銘文の「泰」の字の次の字が何であろうとそれは中国年号ではない」百済年号であると断固たる主張をしている。(25)

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存在したかどうかさえわからない百済の私年号に違いない、と堂々とおっしゃる姿勢は大したものですね。(苦笑)
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