逆説の日帝植民地(2)
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2006/12/17 21:28 投稿番号: [442 / 1474]
<日帝時代とは何か>
(翻訳その2)
しかし、日本は、朝鮮人と日本人の間にそんな差別を置かなかった。朝鮮人たちが東京大学で、早稲田大学で、日本人学生たちと一緒に勉強した。もちろん士官学校も一緒に通い、任官もできた。朝鮮人は日本軍内で中将にまでなった。洪思翊(ホン・サイク)将軍だ。洪将軍は創氏改名を拒否していたが中将まで昇進した。日本の陸軍士官学校出身でもなく、旧韓国軍訓練団出身だ。韓国人も努力さえすれば、司法試験にパスして裁判官になることができた。裁判官は、どの時代、どの国を問わず、支配階層だ。
日本人と韓国人の間の結婚は、全く禁止されたり抑圧されなかった。二人が愛するなら結婚は合法だった。
日本は、日本人と韓国人を区別するすべてのものを無くそうと狂奔したのであって、差別しようと努力したわけではない。同じ文字を書くようにし、同じ服を着せ、同じ言葉を話すようにし、同じ天皇を仰ぐようにし、同じ学校に通うようにし、同じ町内で一緒に暮し、風呂屋で日本人と朝鮮人が一緒に裸になって同じ湯に入った。同じ散髪屋で同じ理髪師が同じバリカンで朝鮮人と日本人の髪を同じ料金で受けて刈った。
帝国主義時代に、世界のどこにこんな植民地があったか? 言って見よ。
だから、どんな側面でも、日帝時代を植民地時代と呼ぶことはできない。日帝時代は植民支配時代ではないのだ。
私がもし日本人として生まれていたら、私は日帝時代を勉強しながらひどく自尊心が傷つき、恥かしいと思うだろう。どうして私たちは、朝鮮人たちに、私たちと同じになろうと、同じように暮そうと、あのように懸命に哀願し、説得し、涙ぐましい努力をしたのだろうかと思うと、鬱憤を堪えることができないほどだ。
日帝時代の本質は、日本が、日本人と朝鮮人を一つにしようとあたふたした時代だったということだ。差別して虐待するために血眼になった時代ではなかったということだ。朝鮮人に対する日帝の虐待は、差別から出たのではなく、同じになることを拒否した朝鮮人たちに加えられた刑罰だった。この差に注目しなければならない。これが他の植民支配と日帝時代が違う根本的な理由だ。
支配国民と被支配国民の差別政策から始まった抑圧と虐待ではなく、同化政策の推進から出た産物だったという点だ。
日帝時代の日本人たちは、朝鮮人たちが「もう私も日本人になるよ。日本人と同じにするよ。」とさえ言えばそれで良く、それ以上どうすることもできなかった。
狂った奴らではないか、こいつらは。朝鮮人が日本人と同じになろうとしたからと言って、生意気だと叩かれることもなかった。むしろ、同じになると言うだけで、抱きしめて、特権も与え、恩恵も与え、勉強もさせ、裁判官もさせ、将校にもなれるようにした。私は、日帝時代の日本人たちが理解できないことが多い。本当にしょうもないことをいっぱいした奴らだと言う気がする。
朝鮮人が日本人と同じ名前を名乗れば捕まえてしたたかに殴ったのではなく、同じような名前を使えと血迷い発狂した。全世界の歴史で、被支配民衆が支配民族のような形式の名前を書かないといって苦しめ、いためつけた狂ったやつらは、日本人たちだけだ。
これが日帝時代の本質だ。日本人たちが朝鮮人と同じになろうと必死になった時代が、私たちが恥かしいという36年だ。どうだ、恥かしいと言うが、何が恥ずかしいか? 顧みれば、むしろウェノムどもが恥じる仕業ではないか? 違うか?
<コメント>
これは、韓国人が韓国人に向かって書いたものです。右派のサイトにはこういう意見も出るようになりました。
しかし、日本は、朝鮮人と日本人の間にそんな差別を置かなかった。朝鮮人たちが東京大学で、早稲田大学で、日本人学生たちと一緒に勉強した。もちろん士官学校も一緒に通い、任官もできた。朝鮮人は日本軍内で中将にまでなった。洪思翊(ホン・サイク)将軍だ。洪将軍は創氏改名を拒否していたが中将まで昇進した。日本の陸軍士官学校出身でもなく、旧韓国軍訓練団出身だ。韓国人も努力さえすれば、司法試験にパスして裁判官になることができた。裁判官は、どの時代、どの国を問わず、支配階層だ。
日本人と韓国人の間の結婚は、全く禁止されたり抑圧されなかった。二人が愛するなら結婚は合法だった。
日本は、日本人と韓国人を区別するすべてのものを無くそうと狂奔したのであって、差別しようと努力したわけではない。同じ文字を書くようにし、同じ服を着せ、同じ言葉を話すようにし、同じ天皇を仰ぐようにし、同じ学校に通うようにし、同じ町内で一緒に暮し、風呂屋で日本人と朝鮮人が一緒に裸になって同じ湯に入った。同じ散髪屋で同じ理髪師が同じバリカンで朝鮮人と日本人の髪を同じ料金で受けて刈った。
帝国主義時代に、世界のどこにこんな植民地があったか? 言って見よ。
だから、どんな側面でも、日帝時代を植民地時代と呼ぶことはできない。日帝時代は植民支配時代ではないのだ。
私がもし日本人として生まれていたら、私は日帝時代を勉強しながらひどく自尊心が傷つき、恥かしいと思うだろう。どうして私たちは、朝鮮人たちに、私たちと同じになろうと、同じように暮そうと、あのように懸命に哀願し、説得し、涙ぐましい努力をしたのだろうかと思うと、鬱憤を堪えることができないほどだ。
日帝時代の本質は、日本が、日本人と朝鮮人を一つにしようとあたふたした時代だったということだ。差別して虐待するために血眼になった時代ではなかったということだ。朝鮮人に対する日帝の虐待は、差別から出たのではなく、同じになることを拒否した朝鮮人たちに加えられた刑罰だった。この差に注目しなければならない。これが他の植民支配と日帝時代が違う根本的な理由だ。
支配国民と被支配国民の差別政策から始まった抑圧と虐待ではなく、同化政策の推進から出た産物だったという点だ。
日帝時代の日本人たちは、朝鮮人たちが「もう私も日本人になるよ。日本人と同じにするよ。」とさえ言えばそれで良く、それ以上どうすることもできなかった。
狂った奴らではないか、こいつらは。朝鮮人が日本人と同じになろうとしたからと言って、生意気だと叩かれることもなかった。むしろ、同じになると言うだけで、抱きしめて、特権も与え、恩恵も与え、勉強もさせ、裁判官もさせ、将校にもなれるようにした。私は、日帝時代の日本人たちが理解できないことが多い。本当にしょうもないことをいっぱいした奴らだと言う気がする。
朝鮮人が日本人と同じ名前を名乗れば捕まえてしたたかに殴ったのではなく、同じような名前を使えと血迷い発狂した。全世界の歴史で、被支配民衆が支配民族のような形式の名前を書かないといって苦しめ、いためつけた狂ったやつらは、日本人たちだけだ。
これが日帝時代の本質だ。日本人たちが朝鮮人と同じになろうと必死になった時代が、私たちが恥かしいという36年だ。どうだ、恥かしいと言うが、何が恥ずかしいか? 顧みれば、むしろウェノムどもが恥じる仕業ではないか? 違うか?
<コメント>
これは、韓国人が韓国人に向かって書いたものです。右派のサイトにはこういう意見も出るようになりました。
これは メッセージ 441 (chaamiey さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/4za5aba5fbbqnabcbc_1/442.html