イ・ヨンフン教授特別講義 11(3)
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2006/07/18 20:48 投稿番号: [265 / 1474]
結論 : 「民族主義史学」から「自由主義史学」へ
<解放前後史の再認識>特別講義(11)民族は超歴史的実体ではなく、歴史的に流動する概念
[イ・ヨンフン(ソウル大教授、『解放前後史の再認識』共同編集者)]
2006-06-30
http://www.new-right.com/read.php?cataId=nr03007&num=1742
(翻訳その3)
私は、そういう史学を「自由主義史学」と呼びたいです。要するに、20世紀韓国史の理解を「民族主義史学から自由主義史学に変えよう」、それが私の今回の講義の核心のメッセージです。この度友人たちと共に編集した 『解放前後史の再認識』も、私の思いとしてはそういう問題意識で成り立っているのです。今回の講義は、そこで取り上げられた立派な諸論文を、私の流儀の手順で紹介する方式を取りました。論文と論文の間の空白は、私の自分なりの論理と実証で補いました。そのようにしてできた私のまずい話を、ここで再び要約する必要はないですね。
一つ言い尽くせなかったことがあるので、付け加えて説明します。国家の問題です。「自由主義史学」において、国家は、超越的あるいは神聖な存在ではありません。 国家は、利己心を本性とする人間とその集団から導き出された2次的な存在です。国家とは何でしょうか? 人間たちを安全に保護して安楽に暮すことができるようにする政治的機能です。自国の国民を保護することができない国家、そんな国家は必要がないです。国家のために死んだ人を栄誉でもてなすことができない国家、そんな国家は消えても良いです。
気に入らない国家が消える見込みが無さそうならば、どうすれば良いですか? もっと良い国に行けば良いということになります。60年代以後、おおよそ200万人の韓国人が、移民としてアメリカへ渡りました。少しも咎めることではありません。私の周辺にはアメリカ市民権者が多数います。私はそれも良いと思います。これからますます、そういう脱国家の時代になるでしょう。
しかし、国家は大切なものです。国家の歴史は大事に扱わなければなりません。大事なものだから、むやみに批判してはいけないです。批判は、礼儀を取り揃えた上で、最小限の水準で愼重に申し立てなければなりません。先進国であればあるほどそんなものです。先進国と後進国とを分ける様々な指標が有りますが、 その一つとして、愛国心の強さを挙げても良いと思います。後進国に行くほど、国家に対する批判が見られます。役立たずの国家と言いますね(←翻訳?)。 一方、先進国の国民は、国を愛する市民ですね。
国家が何故大事なのでしょうか。国民が安全で安楽に暮せるようにする政治的機能として、国家は本質的に政党的暴力体です。国家を論ずるとき、道徳だとか精神だとか言わないでください。国家は、本質的に、マフィアのような暴力体です。ただ、暴力体であるにしても、あなただけが暴力を振るって良いと全ての人が合議したという点で、本当のマフィアと違うだけです。
国家が無くなればどうなりますか? 人々は、自分の家族と財産を保護するために各人が暴力を振るうようになります。野蛮の状態です。中世の国家は、人間の社会的門地に差別を設け、一人の者が他の人間に暴力を振るうことを許容しました。だから、それは、半野蛮の国家でした。
(続く)
<解放前後史の再認識>特別講義(11)民族は超歴史的実体ではなく、歴史的に流動する概念
[イ・ヨンフン(ソウル大教授、『解放前後史の再認識』共同編集者)]
2006-06-30
http://www.new-right.com/read.php?cataId=nr03007&num=1742
(翻訳その3)
私は、そういう史学を「自由主義史学」と呼びたいです。要するに、20世紀韓国史の理解を「民族主義史学から自由主義史学に変えよう」、それが私の今回の講義の核心のメッセージです。この度友人たちと共に編集した 『解放前後史の再認識』も、私の思いとしてはそういう問題意識で成り立っているのです。今回の講義は、そこで取り上げられた立派な諸論文を、私の流儀の手順で紹介する方式を取りました。論文と論文の間の空白は、私の自分なりの論理と実証で補いました。そのようにしてできた私のまずい話を、ここで再び要約する必要はないですね。
一つ言い尽くせなかったことがあるので、付け加えて説明します。国家の問題です。「自由主義史学」において、国家は、超越的あるいは神聖な存在ではありません。 国家は、利己心を本性とする人間とその集団から導き出された2次的な存在です。国家とは何でしょうか? 人間たちを安全に保護して安楽に暮すことができるようにする政治的機能です。自国の国民を保護することができない国家、そんな国家は必要がないです。国家のために死んだ人を栄誉でもてなすことができない国家、そんな国家は消えても良いです。
気に入らない国家が消える見込みが無さそうならば、どうすれば良いですか? もっと良い国に行けば良いということになります。60年代以後、おおよそ200万人の韓国人が、移民としてアメリカへ渡りました。少しも咎めることではありません。私の周辺にはアメリカ市民権者が多数います。私はそれも良いと思います。これからますます、そういう脱国家の時代になるでしょう。
しかし、国家は大切なものです。国家の歴史は大事に扱わなければなりません。大事なものだから、むやみに批判してはいけないです。批判は、礼儀を取り揃えた上で、最小限の水準で愼重に申し立てなければなりません。先進国であればあるほどそんなものです。先進国と後進国とを分ける様々な指標が有りますが、 その一つとして、愛国心の強さを挙げても良いと思います。後進国に行くほど、国家に対する批判が見られます。役立たずの国家と言いますね(←翻訳?)。 一方、先進国の国民は、国を愛する市民ですね。
国家が何故大事なのでしょうか。国民が安全で安楽に暮せるようにする政治的機能として、国家は本質的に政党的暴力体です。国家を論ずるとき、道徳だとか精神だとか言わないでください。国家は、本質的に、マフィアのような暴力体です。ただ、暴力体であるにしても、あなただけが暴力を振るって良いと全ての人が合議したという点で、本当のマフィアと違うだけです。
国家が無くなればどうなりますか? 人々は、自分の家族と財産を保護するために各人が暴力を振るうようになります。野蛮の状態です。中世の国家は、人間の社会的門地に差別を設け、一人の者が他の人間に暴力を振るうことを許容しました。だから、それは、半野蛮の国家でした。
(続く)
これは メッセージ 264 (chaamiey さん)への返信です.
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