イ・ヨンフン教授特別講義 10(2)
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2006/07/15 00:36 投稿番号: [259 / 1474]
1950年代は暗鬱なだけの時代だったのか
<解放前後史の再認識 特別講義>(10)伝統と近代が融合する近代化の過程
[イ・ヨンフン(ソウル大学教授、『解放前後史の再認識』共同編集者)]
2006-06-29
http://www.new-right.com/read.php?cataId=nr03007&num=1741
(翻訳その2)
個人的な経験談になってしまいましたが、そのように我々の歴史において不正腐敗と言うのは50年代だけのことでもなく、為政者だけの責任だという訳でもなく、古い一種の文化のようなものとして、経済が豊かになることによってのみ癒すことができる歴史の業報だったという点を強調して見れば、そういうことになるのです。
そのように観点を変えてみれば、50年代は不正腐敗が深刻な時代ではあったが、腐敗しない部分もあったし、だからこそ、意外と少なくない成果があった時代であったと言うこともできるのです。50年代と言っても、実は休戦の1953年から7年間という短い期間ですが、その時代を前提にしなければ60年代以後を説明することができない、そういう変化と発展が見られました。その話をしたいと思います。
まず 『解放前後史の再認識』第2冊に載せられたユ・ヨンイクの 「巨視的に見た1950年代の歴史〜南韓の変化を中心に」を紹介します。ユ教授は、1950年代を、19世紀末の開化期から始まった西勢東漸と言う長期的趨勢の一局面と位置づけています。歴史は、そのように長期的、文明史的な視野で観察すると良く分かります。言い換えれば、私たちの伝統と外来の近代性が接触して融合する近代化過程の一局面として50年代を見るという意味ですね。
ユ教授は、多くの学生、官僚、軍人が、その期間に海外留学したことに注目しています。1953〜1966年の間、7400人の学生が海外留学に行き、50年代にわたって2400人の公務員が海外短期研修や視察に行き、50年代に9千名以上の将校が、海外訓練を受けて帰って来ました。行って来た主要国は、アメリカでした。ユ教授は、旧韓国末に開化派が試みた連美(アメリカとの提携)方式の近代化、その延長線上にあると言います。一生を学問に捧げた偉大な学者だけが、そのような広くて長い視覚で歴史を見ることができます。
次に、ユ教授によれば、1950年代は、歴史上初めて共和制民主政治が試みられ、それなりに根付いた時期でした。李承晩の権威主義的独裁がありましたが、おおよそ民主主義の基本構造が崩れた事はありません。予定された選挙は必ず実行しなければならなかったし、政権党はその選挙に勝つために必死の努力を傾けました。そこから不正選挙が出たのですね。建国以後1960年までおおよそ7回の選挙が実施され、普通選挙制が定着して行きました。国民の政治意識も発達して、事実上、両党制が定着していくというかなりの成果をおさめました。
そういう点で、私は、50年代の政治を指して今日の歴史教科書が「民主政治の試練」と語ることは、正しくないと思います。何故ならば、そんな言葉には、それ以前のある時期に民主政治が花を咲かせたことがあるという前提が含まれていますが、どう考えてもそんなことは無かったからです。50年代は民主政治の「試練」というより、「陣痛」または「産みの苦しみ」と呼ぶのが正しいでしょう。歴史上初めて民主政治を学習して実践する過程で、多くの試行錯誤と費用の支払いが必要であったという意味です。
50年代が成した一番確かな成果は、教育の分野にありました。「教育の奇蹟」または「教育革命」と呼べるほど、教育に対する国民の需要が爆発した時期が50年代です。義務教育が施行され、学校と学生の数が大きく増加しました。1945〜1960年に小学生が136万人から359万人へ、高校生が8万人から26万人へ、大学生が7800人から9万8千名に増加しました。大学生の数があまりにも増えて、 「大学亡国論」と言ってその社会的弊害を心配する話が出るほどでした。
(続く)
<解放前後史の再認識 特別講義>(10)伝統と近代が融合する近代化の過程
[イ・ヨンフン(ソウル大学教授、『解放前後史の再認識』共同編集者)]
2006-06-29
http://www.new-right.com/read.php?cataId=nr03007&num=1741
(翻訳その2)
個人的な経験談になってしまいましたが、そのように我々の歴史において不正腐敗と言うのは50年代だけのことでもなく、為政者だけの責任だという訳でもなく、古い一種の文化のようなものとして、経済が豊かになることによってのみ癒すことができる歴史の業報だったという点を強調して見れば、そういうことになるのです。
そのように観点を変えてみれば、50年代は不正腐敗が深刻な時代ではあったが、腐敗しない部分もあったし、だからこそ、意外と少なくない成果があった時代であったと言うこともできるのです。50年代と言っても、実は休戦の1953年から7年間という短い期間ですが、その時代を前提にしなければ60年代以後を説明することができない、そういう変化と発展が見られました。その話をしたいと思います。
まず 『解放前後史の再認識』第2冊に載せられたユ・ヨンイクの 「巨視的に見た1950年代の歴史〜南韓の変化を中心に」を紹介します。ユ教授は、1950年代を、19世紀末の開化期から始まった西勢東漸と言う長期的趨勢の一局面と位置づけています。歴史は、そのように長期的、文明史的な視野で観察すると良く分かります。言い換えれば、私たちの伝統と外来の近代性が接触して融合する近代化過程の一局面として50年代を見るという意味ですね。
ユ教授は、多くの学生、官僚、軍人が、その期間に海外留学したことに注目しています。1953〜1966年の間、7400人の学生が海外留学に行き、50年代にわたって2400人の公務員が海外短期研修や視察に行き、50年代に9千名以上の将校が、海外訓練を受けて帰って来ました。行って来た主要国は、アメリカでした。ユ教授は、旧韓国末に開化派が試みた連美(アメリカとの提携)方式の近代化、その延長線上にあると言います。一生を学問に捧げた偉大な学者だけが、そのような広くて長い視覚で歴史を見ることができます。
次に、ユ教授によれば、1950年代は、歴史上初めて共和制民主政治が試みられ、それなりに根付いた時期でした。李承晩の権威主義的独裁がありましたが、おおよそ民主主義の基本構造が崩れた事はありません。予定された選挙は必ず実行しなければならなかったし、政権党はその選挙に勝つために必死の努力を傾けました。そこから不正選挙が出たのですね。建国以後1960年までおおよそ7回の選挙が実施され、普通選挙制が定着して行きました。国民の政治意識も発達して、事実上、両党制が定着していくというかなりの成果をおさめました。
そういう点で、私は、50年代の政治を指して今日の歴史教科書が「民主政治の試練」と語ることは、正しくないと思います。何故ならば、そんな言葉には、それ以前のある時期に民主政治が花を咲かせたことがあるという前提が含まれていますが、どう考えてもそんなことは無かったからです。50年代は民主政治の「試練」というより、「陣痛」または「産みの苦しみ」と呼ぶのが正しいでしょう。歴史上初めて民主政治を学習して実践する過程で、多くの試行錯誤と費用の支払いが必要であったという意味です。
50年代が成した一番確かな成果は、教育の分野にありました。「教育の奇蹟」または「教育革命」と呼べるほど、教育に対する国民の需要が爆発した時期が50年代です。義務教育が施行され、学校と学生の数が大きく増加しました。1945〜1960年に小学生が136万人から359万人へ、高校生が8万人から26万人へ、大学生が7800人から9万8千名に増加しました。大学生の数があまりにも増えて、 「大学亡国論」と言ってその社会的弊害を心配する話が出るほどでした。
(続く)
これは メッセージ 258 (chaamiey さん)への返信です.
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