イ・ヨンフン教授特別講義 10(1)
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2006/07/13 23:22 投稿番号: [258 / 1474]
1950年代は暗鬱なだけの時代だったのか
<解放前後史の再認識 特別講義>(10)伝統と近代が融合する近代化の過程
[イ・ヨンフン(ソウル大学教授、『解放前後史の再認識』共同編集者)]
2006-06-29
http://www.new-right.com/read.php?cataId=nr03007&num=1741
(翻訳その1)
1950年代と言えば、普通の韓国の人々は、暗い時代だったと記憶しています。1950年代の歴史的記憶の暗いところは、まず、李承晩政府が1960年に3.15不正選挙を企てて4.19という国民的抵抗で崩壊したという理由が大きく作用するようです。もう一つの理由は、1960年代以後との比較のせいであるでしょう。60年代以後の高度成長に比べて、50年代の実績は見劣りがします。何か開発計画みたいなものがあって、国民に希望を与えながら成長潜在力を総動員した、そういう時代でなかったのは事実です。60年代以後の朴正煕政府は、そういう50年代の無気力をよく指摘しましたが、そうすることで自分の業績を誇示しようという政治的考慮があったと思います。
50年代が暗鬱に記憶される最大の理由は、多分、不正腐敗にあるでしょう。どれくらい不正腐敗がひどかったのか、当時の証言記録を読めば想像を超えるほどです。朝鮮戦争の最中の1951年1月のことです。第2国民兵に組職された国民防衛軍の司令官以下高級将校たちが軍需物資を横領して、おおよそ9万名の兵士が飢え死に、凍え死ぬという事件が発生しました。将校たちの進級はほとんど全部、賄賂の結果でした。そのころ、領官級将校が一月の給料で家族を食べさせられる期間は、わずか10日に過ぎなかったのです。後に5・16革命に主導的に参加した当時の中佐階級のイ・ソクチェは、月給がすぐに無くなり、三日間飢えた事があると彼の回顧録に記しました。
不正腐敗は軍だけのことだったのではありません。 一国の経済循環が全部そうだったと言っても良いほどでした。アメリカから来た援助資金の一部は、政府→企業→自由党と流れる政治資金でもありました。企業はそんな不正な補助物の中でこそ、企業として大きくなることができました。このことについては、『解放前後史の再認識』第2冊に載せたウ・ジョンウンの「非合理性の裏の合理性を捜して〜李承晩時代の輸入代替産業化の政治経済学」と言う論文を参考にすることができます。この論文に関しては、後でまた言及します。
ところで、その時代の不正腐敗について、私の考えは少し違います。また非難されるかも知れないですが、それは、確かに、貧困がもたらした我々の歴史の文化でもありました。先日、歴史の業報ということを述べましたが、誰が誰を咎めることもできない、皆が時代の共犯である、そういう歴史の業報でした。
詳しい例を挙げる余裕がないですが、19世紀までの朝鮮王朝の時代は、自由財産制度が確立されない中で両班官僚が民に畑を耕させて食べると言う具合で、不正腐敗が経済生活の原理として自然に定着した社会でした。日帝下では綱紀が厳格で、こういう例を捜しにくかったんですが、解放後には癖のように蘇りました。1937年から地方の面役場書記として出発して一生を公職で過ごしたある人の回顧によれば、日本統治期には、上級者が異動すれば事務室の机の上にサイダーやお菓子を置いて歓迎会や送別会を開いたが、解放後は妓生(キーセン)の店に場所が変わったと言います。
よその話しをするまでもないです。私が育つ過程で見聞きした周辺の状況も、一面そうでした。私は1973年〜1976年の間、陸軍の兵卒として休戦ラインあたりで勤務しました。鳥肉や豚肉はまさに見ることも難しく、それらを煮たスープだけ飲みました。将校たちだけが食べたというわけでもありません。下士官、甚だしくは兵長まで、ぬけぬけと食堂入口に監視に立ち、兵卒たちが食べる生肉を持って行きました。ある日師団から連隊へ米を運ぶトラックに乗った事がありましたが、ある峠の上で連隊の軍需係を務める兵長が米俵を押して道路に落としました。すると待っていた民間人が何人か飛び出して来て、米を持って行きました。他人が傍にいるのもかまわず、一兵卒がそんな仕業をしました。何故ならばあまりにも古い、受け継いだ習慣だからでした。
(続く)
<解放前後史の再認識 特別講義>(10)伝統と近代が融合する近代化の過程
[イ・ヨンフン(ソウル大学教授、『解放前後史の再認識』共同編集者)]
2006-06-29
http://www.new-right.com/read.php?cataId=nr03007&num=1741
(翻訳その1)
1950年代と言えば、普通の韓国の人々は、暗い時代だったと記憶しています。1950年代の歴史的記憶の暗いところは、まず、李承晩政府が1960年に3.15不正選挙を企てて4.19という国民的抵抗で崩壊したという理由が大きく作用するようです。もう一つの理由は、1960年代以後との比較のせいであるでしょう。60年代以後の高度成長に比べて、50年代の実績は見劣りがします。何か開発計画みたいなものがあって、国民に希望を与えながら成長潜在力を総動員した、そういう時代でなかったのは事実です。60年代以後の朴正煕政府は、そういう50年代の無気力をよく指摘しましたが、そうすることで自分の業績を誇示しようという政治的考慮があったと思います。
50年代が暗鬱に記憶される最大の理由は、多分、不正腐敗にあるでしょう。どれくらい不正腐敗がひどかったのか、当時の証言記録を読めば想像を超えるほどです。朝鮮戦争の最中の1951年1月のことです。第2国民兵に組職された国民防衛軍の司令官以下高級将校たちが軍需物資を横領して、おおよそ9万名の兵士が飢え死に、凍え死ぬという事件が発生しました。将校たちの進級はほとんど全部、賄賂の結果でした。そのころ、領官級将校が一月の給料で家族を食べさせられる期間は、わずか10日に過ぎなかったのです。後に5・16革命に主導的に参加した当時の中佐階級のイ・ソクチェは、月給がすぐに無くなり、三日間飢えた事があると彼の回顧録に記しました。
不正腐敗は軍だけのことだったのではありません。 一国の経済循環が全部そうだったと言っても良いほどでした。アメリカから来た援助資金の一部は、政府→企業→自由党と流れる政治資金でもありました。企業はそんな不正な補助物の中でこそ、企業として大きくなることができました。このことについては、『解放前後史の再認識』第2冊に載せたウ・ジョンウンの「非合理性の裏の合理性を捜して〜李承晩時代の輸入代替産業化の政治経済学」と言う論文を参考にすることができます。この論文に関しては、後でまた言及します。
ところで、その時代の不正腐敗について、私の考えは少し違います。また非難されるかも知れないですが、それは、確かに、貧困がもたらした我々の歴史の文化でもありました。先日、歴史の業報ということを述べましたが、誰が誰を咎めることもできない、皆が時代の共犯である、そういう歴史の業報でした。
詳しい例を挙げる余裕がないですが、19世紀までの朝鮮王朝の時代は、自由財産制度が確立されない中で両班官僚が民に畑を耕させて食べると言う具合で、不正腐敗が経済生活の原理として自然に定着した社会でした。日帝下では綱紀が厳格で、こういう例を捜しにくかったんですが、解放後には癖のように蘇りました。1937年から地方の面役場書記として出発して一生を公職で過ごしたある人の回顧によれば、日本統治期には、上級者が異動すれば事務室の机の上にサイダーやお菓子を置いて歓迎会や送別会を開いたが、解放後は妓生(キーセン)の店に場所が変わったと言います。
よその話しをするまでもないです。私が育つ過程で見聞きした周辺の状況も、一面そうでした。私は1973年〜1976年の間、陸軍の兵卒として休戦ラインあたりで勤務しました。鳥肉や豚肉はまさに見ることも難しく、それらを煮たスープだけ飲みました。将校たちだけが食べたというわけでもありません。下士官、甚だしくは兵長まで、ぬけぬけと食堂入口に監視に立ち、兵卒たちが食べる生肉を持って行きました。ある日師団から連隊へ米を運ぶトラックに乗った事がありましたが、ある峠の上で連隊の軍需係を務める兵長が米俵を押して道路に落としました。すると待っていた民間人が何人か飛び出して来て、米を持って行きました。他人が傍にいるのもかまわず、一兵卒がそんな仕業をしました。何故ならばあまりにも古い、受け継いだ習慣だからでした。
(続く)
これは メッセージ 257 (chaamiey さん)への返信です.
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