イ・ヨンフン教授特別講義 1(2)
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2006/07/08 17:28 投稿番号: [249 / 1474]
大韓民国は誤って立てられた国という認識
<解放前後史の再認識特別講義>(1)解放前後史の認識批判
[イ・ヨンフン(ソウル大教授、『解放前後史の再認識』共同著者)]
2006-06-19
http://www.new-right.com/read.php?cataId=nr03007&num=1699
(翻訳その2)
第1巻では、大韓民国の建国主体に対する道徳的な批判が主流をなしています。それで、表現が荒くて感情的なところが多いです。報道人出身の宋建燕が書いた総論を見れば、「解放後、占領軍である米軍政下で、親日派事大主義者たちが勢力を得て愛国者たちを踏み付け、一身の栄達のために分断の永久化を企て、民族が分断される悲劇が発生した。」と書いています。彼は、「1948年に成立した大韓民国は、新生政府であるのに不正腐敗がはびこって、新鮮な気風の見られない、まるで老衰国のようだった。」と激烈に批判しています。
大韓民国の建国史についてのこのような一種の道徳的審判を前提とした上で、『解放前後史の認識』がそれなりの論理体系を立て始めるのは、第2巻からです。第2巻の総論はカン・マンギル教授が書きましたが、彼の有名な「分断時代の歴史認識」がそこで紹介されます。
要するに、植民地時期には民族解放が至上命題だったように、解放後の分断時代には民族統一が至上命題だ、民族統一が成就するまでは、完全な市民社会と近代国家が成り立ったとは言えない、よって、至上命題である統一を成就するために、政治は民族政治、経済は民族経済、社会は民族社会、文学は民族文学、芸術は民族芸術にならなければならない、ということがまさにカン教授の有名な「分断時代の歴史認識」の要旨です。
そのために歴史家がすべきことは何でしょうか? 金九先生がそうだったように、38度線に立つ中間的存在の立場で、自分が属している南と北の体制に埋没することなく、そこから出て休戦ラインに立つ中間子の立場で、解放後に南と北が分断され朝鮮戦争を通じて分断が固着して行く過程を客観化する必要があると彼は主張しています。
第2巻が史学とすれば、第3巻では、社会経済の分析とそれに基づく革命理論が提示されます。第3巻の総論は、朴玄采先生です。朴先生によれば、植民地期と米軍政期は、植民地半封建社会です。人類史的に大きく見れば資本主義社会だが、帝国主義支配下で地主制を中心に半封建的要素が強く残っていて、社会経済的変革が反帝国主義と反封建的土地改革を主要課題とする社会だというのです。解放政局当時、このような話をするのは社会主義者の人々でした。社会主義革命を直ちに遂行する与件は揃っていないというのですね。まず、人口の多数を占める農民たちの階級的利害関係を社会主義政党が代弁してブルジョア的な土地改革を遂行し、そのように農民の支持を確保した後に、適当な時機を見て社会主義革命に進まなければならない、と彼らは主張しました。いわゆる2段階革命論です。
このような革命論を成功的に実践したのが、あの中国共産党による新民主主義革命ですね。毛沢東がその革命を思想的、理論的に指導したのです。そういう毛沢東の思想と革命理論、すなわちマオイズムを、解放後の韓国の共産主義者たちが取り入れました。朴玄采先生もそういう思想を受け継いだ人と見られます。それで上のような革命理論を主張したのです。1970年代までは、そういう主張を公に申し立てるのは大変でした。ところが韓国の民主政治が発達するに従い、1980年代中盤から思想の自由が開かれるようになりました。そういう時代的変化を反映して、マオイズムに立脚する人民主体の革命理論を大っぴらに主張したのが、この『解放前後史の認識』第3冊だと言えます。
(続く)
<解放前後史の再認識特別講義>(1)解放前後史の認識批判
[イ・ヨンフン(ソウル大教授、『解放前後史の再認識』共同著者)]
2006-06-19
http://www.new-right.com/read.php?cataId=nr03007&num=1699
(翻訳その2)
第1巻では、大韓民国の建国主体に対する道徳的な批判が主流をなしています。それで、表現が荒くて感情的なところが多いです。報道人出身の宋建燕が書いた総論を見れば、「解放後、占領軍である米軍政下で、親日派事大主義者たちが勢力を得て愛国者たちを踏み付け、一身の栄達のために分断の永久化を企て、民族が分断される悲劇が発生した。」と書いています。彼は、「1948年に成立した大韓民国は、新生政府であるのに不正腐敗がはびこって、新鮮な気風の見られない、まるで老衰国のようだった。」と激烈に批判しています。
大韓民国の建国史についてのこのような一種の道徳的審判を前提とした上で、『解放前後史の認識』がそれなりの論理体系を立て始めるのは、第2巻からです。第2巻の総論はカン・マンギル教授が書きましたが、彼の有名な「分断時代の歴史認識」がそこで紹介されます。
要するに、植民地時期には民族解放が至上命題だったように、解放後の分断時代には民族統一が至上命題だ、民族統一が成就するまでは、完全な市民社会と近代国家が成り立ったとは言えない、よって、至上命題である統一を成就するために、政治は民族政治、経済は民族経済、社会は民族社会、文学は民族文学、芸術は民族芸術にならなければならない、ということがまさにカン教授の有名な「分断時代の歴史認識」の要旨です。
そのために歴史家がすべきことは何でしょうか? 金九先生がそうだったように、38度線に立つ中間的存在の立場で、自分が属している南と北の体制に埋没することなく、そこから出て休戦ラインに立つ中間子の立場で、解放後に南と北が分断され朝鮮戦争を通じて分断が固着して行く過程を客観化する必要があると彼は主張しています。
第2巻が史学とすれば、第3巻では、社会経済の分析とそれに基づく革命理論が提示されます。第3巻の総論は、朴玄采先生です。朴先生によれば、植民地期と米軍政期は、植民地半封建社会です。人類史的に大きく見れば資本主義社会だが、帝国主義支配下で地主制を中心に半封建的要素が強く残っていて、社会経済的変革が反帝国主義と反封建的土地改革を主要課題とする社会だというのです。解放政局当時、このような話をするのは社会主義者の人々でした。社会主義革命を直ちに遂行する与件は揃っていないというのですね。まず、人口の多数を占める農民たちの階級的利害関係を社会主義政党が代弁してブルジョア的な土地改革を遂行し、そのように農民の支持を確保した後に、適当な時機を見て社会主義革命に進まなければならない、と彼らは主張しました。いわゆる2段階革命論です。
このような革命論を成功的に実践したのが、あの中国共産党による新民主主義革命ですね。毛沢東がその革命を思想的、理論的に指導したのです。そういう毛沢東の思想と革命理論、すなわちマオイズムを、解放後の韓国の共産主義者たちが取り入れました。朴玄采先生もそういう思想を受け継いだ人と見られます。それで上のような革命理論を主張したのです。1970年代までは、そういう主張を公に申し立てるのは大変でした。ところが韓国の民主政治が発達するに従い、1980年代中盤から思想の自由が開かれるようになりました。そういう時代的変化を反映して、マオイズムに立脚する人民主体の革命理論を大っぴらに主張したのが、この『解放前後史の認識』第3冊だと言えます。
(続く)
これは メッセージ 246 (chaamiey さん)への返信です.
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