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イ・ヨンフン教授特別講義 7(5)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2006/07/04 21:28 投稿番号: [236 / 1474]
建国の文明史的意味
<解放前後史の再認識   特別講義>(7)自由民主主義、近代文明国家としての出発

[イ・ヨンフン(ソウル大教授、『解放前後史の再認識』共同編集者)]
2006-06-26
http://www.new-right.com/read.php?cataId=nr03007&num=1730


               (翻訳5)

   姜鉄丸さんの家は、元々平壌で党幹部の家でした。ある日、どういうわけかお爺さんが反動分子として追われました。すると党保衛部隊の要員が5人家に入って来て、今から反動分子の財産を没収するとのメッセージを読み上げました。それで終りでした。床の魚箱が蹴られ、箱が壊れて鮒が床に転がりました。女性が悲鳴を上げる中、家の中のめぼしい家財道具が没収され、積み出されました。

   そして、今から咸境道ヨドクの収容所に行くという宣告が読み上げられました。そして、家族皆が収容所行きのトラックに乗せられました。母親は、どういう訳かトトクで急に下ろされました。家族皆が涙で母親と別れました。しばらく後に、母親が父親と離婚するという書類を送ってきました。
北朝鮮の人々が食べることができずに飢え死にすることは、まことに重大なことです。そのことだけを悲しまないでください。それよりは、国家の暴力の前にどんな形ででも自分を防衛する手段を持つことができなかった北朝鮮同胞の奴隷的境遇に、本当に怒ってください。

   南韓に比べて北朝鮮の出発は、確かにもっともらしかったです。革命の旗が高く掲げられ、労働者と兵士らの力強いパレードはまことに立派でした。ところが、そこでは、人間精神の自由という近代文明の一番基礎的な要素が否定されました。やがて北朝鮮は、文明の袋小路に行き当たってしまいました。
   それに比べて、南韓の建国はまさに慌しくてしょうがなかったです。私が会った初代政府の一官吏は、まことに混乱の時代だったと回想しました。昼には大韓民国、夜には朝鮮人民共和国、そんな国を脱出してまた日本に帰りたかったと言います。実際、約10万人の帰還同胞がまた日本に帰ってしまいました。

   大韓民国は、そんな慌しさと無秩序の中で出発しました。しかし、出発が正当な方向だったから、時が経つに従って評価に値する成果となったのでした。「出発はそっと、後は壮大に」と言う聖書の言葉があります。まさに大韓民国の建国史にぴったり合う言葉です。なぜでしょうか?
   人間精神の自由を保障し、法と制度を基本原理にする建国だったからですね。その点はいくら強調してもし過ぎることのない、私たちの建国史の評価に値する点だったのです。



  イ・ヨンフン (ソウル大教授、『解放前後史の再認識』共同編集者)

  *イ・ヨンフン教授の<解放前後史の再認識特講>は、EBS ラジオホームページ(再び聞く)で聞くことができます。
http://www.ebs.co.kr/Homepage/?progcd=0002420


             (翻訳終わり)
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