イ・ヨンフン教授特別講義 7(2)
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2006/07/02 20:37 投稿番号: [233 / 1474]
建国の文明史的意味
<解放前後史の再認識 特別講義>(7)自由民主主義、近代文明国家としての出発
[イ・ヨンフン(ソウル大教授、『解放前後史の再認識』共同編集者)]
2006-06-26
http://www.new-right.com/read.php?cataId=nr03007&num=1730
(翻訳2)
大韓民国の建国が持つ大きな歴史的意義に関して考えて見ましょう。
第一に、大韓民国は、自由民主主義理念を基礎にして立てられた国です。韓国の歴史を振り返れば、15〜19世紀の朝鮮王朝の時代には、一般民衆の政治的権利は認められていませんでした。1899年、大韓帝国の国制が発布されました。それによれば、大韓帝国は「万世不変の専制政治」でした。皇帝は「無限の君権を享有する」と宣布されました。この国制に関して、後に高宗は「政治は官人がすることであり、民は被治者として、政治・結社はもちろん政治的発言もできない。」と言いました。
それに続く1905〜1945年の日帝下の植民地期はどうだったでしょうか? 先日、この時期に近代的な法と制度が移植されたと説明しましたが、政治の領域とは無関係なことでした。日帝の派遣した総督は、立法権、行政権、司法権を一身に行使できた人でした。三権を統合した専制君主と違うところはなかったでしょう。朝鮮人たちは、政治に参加する権利はありませんでした。ただ、一定額以上の所得税を納める人々に限って、地方議会選挙に参加する権利が部分的に認められただけですね。
先日も指摘したのですが、日本自体が自由民主主義の政治を知らなかったのです。日帝が敗亡したのもそのためです。日本が自由民主主義を実践するようになるのは、天皇制国家が解体された以後、米軍の占領体制の下でのことです。
第二に、自由と人権は法律だけでは成立しません。自由と人権は、人間が社会生活を自立的に営む土台として自由財産を所有しなければ、言葉の遊びに過ぎないのですね。それで、大韓民国は農地改革を実施しました。制憲憲法第86条は「農地は農民に分配し、その分配の方法、所有の限度、所有権の内容と限界は法律として定める。」と言いました。 そのように農地改革は既定事実化されました。続いて1949年6月、農地改革法が国会を通過しました。所有農地の上限規模を3町歩に決めた後, それ以上のすべての農地を地主から有償で収用して、小作農民に有償で分配しました。
有償で収用・分配したことを指して、北朝鮮の無償収用・分配よりも劣った改革であったという主張をたまに聞きますが、これは誤りです。有償で収用して分配したのは、自由民主主義の核心原理である自由財産制度を尊重したからです。無償改革は、この核心原理の否定です。それで農民に土地が分配されたが、無償分配の場合、その所有権は完全なものにならなかったのです。自分のお金で買ったのではないのに、どうして完全な私有財産になるでしょうか。当然、農民たちに土地を分けてやった北朝鮮政府は、売買や抵当などの財産権の処分行為を制限しました。私的地主を無くす代わりに、結果的に国家が地主の代わりをするように変わったに過ぎなかったのです。
それでどうなったでしょうか? 土地を分けてやったが、間もなくて皆回収して、集団農場体制に移行したのではないですか?
農地改革が実施された結果、我が国の農村住民たちは、皆、自作農になりました。まさに韓国史が始まって以来の、初めてのことではないかと思います。 国家が農民たちに土地を分けてやったのは、『三国史記』によれば、722年に統一新羅が「民に丁田を分けてやった」と言う記録が初めてです。ところが、私の考えるところでは、当時の「民」とは、農村社会で中上層の地位にあった農民を指しており、下層農民まで分配の対象になったのではないようです。ともかく、大韓民国の農地改革は、有史以来農民が自分の土地を所有するようになった一大快挙でした。
そしてどんな変化が生じたでしょうか? ラジオをお聞きの皆さんは、偉大な詩人ソ・チョンジュの『父は奴婢だった』という詩を憶えておられますか。両班である主人の小作管理人である父が主人の呼び出しを受けて、幼い子の手を握って夜明けの露に濡れたあぜ道を衣服を濡らしつつ慌しく駆けつける話です。その熱い父の息づかいで、子は、父が奴婢の身分であることを悟ります。そういう奴婢の身分が、いよいよ韓国史から消えることになります。
(続く)
<解放前後史の再認識 特別講義>(7)自由民主主義、近代文明国家としての出発
[イ・ヨンフン(ソウル大教授、『解放前後史の再認識』共同編集者)]
2006-06-26
http://www.new-right.com/read.php?cataId=nr03007&num=1730
(翻訳2)
大韓民国の建国が持つ大きな歴史的意義に関して考えて見ましょう。
第一に、大韓民国は、自由民主主義理念を基礎にして立てられた国です。韓国の歴史を振り返れば、15〜19世紀の朝鮮王朝の時代には、一般民衆の政治的権利は認められていませんでした。1899年、大韓帝国の国制が発布されました。それによれば、大韓帝国は「万世不変の専制政治」でした。皇帝は「無限の君権を享有する」と宣布されました。この国制に関して、後に高宗は「政治は官人がすることであり、民は被治者として、政治・結社はもちろん政治的発言もできない。」と言いました。
それに続く1905〜1945年の日帝下の植民地期はどうだったでしょうか? 先日、この時期に近代的な法と制度が移植されたと説明しましたが、政治の領域とは無関係なことでした。日帝の派遣した総督は、立法権、行政権、司法権を一身に行使できた人でした。三権を統合した専制君主と違うところはなかったでしょう。朝鮮人たちは、政治に参加する権利はありませんでした。ただ、一定額以上の所得税を納める人々に限って、地方議会選挙に参加する権利が部分的に認められただけですね。
先日も指摘したのですが、日本自体が自由民主主義の政治を知らなかったのです。日帝が敗亡したのもそのためです。日本が自由民主主義を実践するようになるのは、天皇制国家が解体された以後、米軍の占領体制の下でのことです。
第二に、自由と人権は法律だけでは成立しません。自由と人権は、人間が社会生活を自立的に営む土台として自由財産を所有しなければ、言葉の遊びに過ぎないのですね。それで、大韓民国は農地改革を実施しました。制憲憲法第86条は「農地は農民に分配し、その分配の方法、所有の限度、所有権の内容と限界は法律として定める。」と言いました。 そのように農地改革は既定事実化されました。続いて1949年6月、農地改革法が国会を通過しました。所有農地の上限規模を3町歩に決めた後, それ以上のすべての農地を地主から有償で収用して、小作農民に有償で分配しました。
有償で収用・分配したことを指して、北朝鮮の無償収用・分配よりも劣った改革であったという主張をたまに聞きますが、これは誤りです。有償で収用して分配したのは、自由民主主義の核心原理である自由財産制度を尊重したからです。無償改革は、この核心原理の否定です。それで農民に土地が分配されたが、無償分配の場合、その所有権は完全なものにならなかったのです。自分のお金で買ったのではないのに、どうして完全な私有財産になるでしょうか。当然、農民たちに土地を分けてやった北朝鮮政府は、売買や抵当などの財産権の処分行為を制限しました。私的地主を無くす代わりに、結果的に国家が地主の代わりをするように変わったに過ぎなかったのです。
それでどうなったでしょうか? 土地を分けてやったが、間もなくて皆回収して、集団農場体制に移行したのではないですか?
農地改革が実施された結果、我が国の農村住民たちは、皆、自作農になりました。まさに韓国史が始まって以来の、初めてのことではないかと思います。 国家が農民たちに土地を分けてやったのは、『三国史記』によれば、722年に統一新羅が「民に丁田を分けてやった」と言う記録が初めてです。ところが、私の考えるところでは、当時の「民」とは、農村社会で中上層の地位にあった農民を指しており、下層農民まで分配の対象になったのではないようです。ともかく、大韓民国の農地改革は、有史以来農民が自分の土地を所有するようになった一大快挙でした。
そしてどんな変化が生じたでしょうか? ラジオをお聞きの皆さんは、偉大な詩人ソ・チョンジュの『父は奴婢だった』という詩を憶えておられますか。両班である主人の小作管理人である父が主人の呼び出しを受けて、幼い子の手を握って夜明けの露に濡れたあぜ道を衣服を濡らしつつ慌しく駆けつける話です。その熱い父の息づかいで、子は、父が奴婢の身分であることを悟ります。そういう奴婢の身分が、いよいよ韓国史から消えることになります。
(続く)
これは メッセージ 232 (chaamiey さん)への返信です.
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