イ・ヨンフン教授 特別講義 4(2)
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2006/06/24 17:20 投稿番号: [215 / 1474]
日帝がこの地に残した遺産
<解放前後史の再認識>特別講義4
近代的意味の法と制度、そして市場経済体制
[ イ・ヨンフン (ソウル大教授、『解放前後史の再認識』共同編集者)]
2006-06-22
http://www.new-right.com/read.php?cataId=nr03007&num=1702
(翻訳2)
日帝が北朝鮮にどれだけ多くの巨大な規模の軍事工業施設を建設したかは、最近になってやっと明かされ始めた新しい研究成果です。解放後、これら先端工業施設の一部は撤去されて占領軍ソ連の戦利品として移ったのですが、ほとんど大部分は、北朝鮮政府に引き継がれました。その相当部分が6.25戦争(朝鮮動乱)の過程で米軍の爆撃によって破壊されますが、工場を経営する高級人材が存在して部品が供給される限り、破壊された工場を復旧するのはあまり難しいことではありません。
しばしば、北朝鮮が1960年代まで南韓より経済的に先に進んでいたと言います。私も、それは事実ではないかと思います。ただ私が申し上げたいことは、そのようになったのは、北朝鮮が日帝から受けた物的遺産が豊かだったからだという点です。後でまた述べますが、1950年に金日成が6.25戦争を挑発することができたのは、個人火器や火薬に関して北朝鮮は自身の生産能力を確保したからです。それに比べて、南韓にはほとんど何もなかったのです。そういう南北韓の経済構造や経済力の差が、金日成にとって6.25 戦争を挑発するように誘惑したと言えます。
一方、南韓が日帝から受け継いだ物的遺産は、まことに貧弱でした。南韓は、米作中心の農業地帯でした。南韓で一番大きい産業は、輸出米農業でした。工業施設としては、醸造場・精米所のような食品加工業が主流をなしただけです。その他にソウル、釜山、大邱のような都市に綿紡織・絹織などの衣類工場がいくつかあったくらいのものでした。ソウルのような大都市近傍で機械工業が一部発達しましたが、マニュファクチャーの水準をさほど超えていませんでした。しかも、それらの南韓の工業施設さえも、解放後の混乱期にたくさん毀損されてしまいました。
ところが、南韓は、日帝が残したまた別の歴史的資産を、大切によく保存しました。ほかでもない、近代的な法・制度と市場経済体制がそれでした。これらは、元々西ヨーロッパで発生して日本に渡ったのでした。だから、厳密に言えば日帝の遺産というより、20世紀の人類が共有する文明の資産とも言えるのです。先ほど何度も触れましたが、このような近代的な法と制度は、日帝が韓半島を永久併合するために移植したものでした。
解放後の大韓民国は、このような近代文明としての法と制度をそのまま保全して発展させました。もう少し詳しく言えば、日帝は1937年以後戦時期に入ると、市場経済体制を相当部分中止して、国家社会主義的な統制政策を取ります。食糧の供出と配給がその代表的な例です。このような日帝の戦時経済体制は、解放後、南韓では米軍政によって解体されました。そして大韓民国が樹立される時には、より自由な市場経済が活性化していました。このようにして、大韓民国は、日帝を通じてこの地に入って来た市場経済体制を復旧し発展させて、今日のような繁栄する市場経済を成立させることになったのです。
一方で、北朝鮮は、豊かな物的遺産を受け継いだが、日帝を通じて入って来た近代的な法と制度を廃棄してしまいました。社会主義革命をする目的のためだったのです。1946年、北朝鮮は「建国20箇条項」を発表し、「日帝が統治のために施行したすべての法を廃止する。」と言いました。また、「日帝の裁判機構を、人民から選抜された代表による人民裁判機構に取り替える。」と言いました。
財産権の絶対性を保障した民法が廃止されれば、どうなりますか? 法による裁判機構が解体されれば、その社会の人間たちはどんな境遇に置かれることになりますか? そのように、北朝鮮は近代文明を否定してしまいました。その結果、北朝鮮は、悲劇的に、文明の袋小路に立ち入ってしまいました。社会主義革命の熱気に浮き立っていた当時の人たちが、そういう文明史の悲劇をどうして予感できたでしょうか。しかし、人間精神の本質である自由、その自由の物的土台である財産制度が廃止されれば、そういう悲劇が発生するものと決まっています。
(続く)
<解放前後史の再認識>特別講義4
近代的意味の法と制度、そして市場経済体制
[ イ・ヨンフン (ソウル大教授、『解放前後史の再認識』共同編集者)]
2006-06-22
http://www.new-right.com/read.php?cataId=nr03007&num=1702
(翻訳2)
日帝が北朝鮮にどれだけ多くの巨大な規模の軍事工業施設を建設したかは、最近になってやっと明かされ始めた新しい研究成果です。解放後、これら先端工業施設の一部は撤去されて占領軍ソ連の戦利品として移ったのですが、ほとんど大部分は、北朝鮮政府に引き継がれました。その相当部分が6.25戦争(朝鮮動乱)の過程で米軍の爆撃によって破壊されますが、工場を経営する高級人材が存在して部品が供給される限り、破壊された工場を復旧するのはあまり難しいことではありません。
しばしば、北朝鮮が1960年代まで南韓より経済的に先に進んでいたと言います。私も、それは事実ではないかと思います。ただ私が申し上げたいことは、そのようになったのは、北朝鮮が日帝から受けた物的遺産が豊かだったからだという点です。後でまた述べますが、1950年に金日成が6.25戦争を挑発することができたのは、個人火器や火薬に関して北朝鮮は自身の生産能力を確保したからです。それに比べて、南韓にはほとんど何もなかったのです。そういう南北韓の経済構造や経済力の差が、金日成にとって6.25 戦争を挑発するように誘惑したと言えます。
一方、南韓が日帝から受け継いだ物的遺産は、まことに貧弱でした。南韓は、米作中心の農業地帯でした。南韓で一番大きい産業は、輸出米農業でした。工業施設としては、醸造場・精米所のような食品加工業が主流をなしただけです。その他にソウル、釜山、大邱のような都市に綿紡織・絹織などの衣類工場がいくつかあったくらいのものでした。ソウルのような大都市近傍で機械工業が一部発達しましたが、マニュファクチャーの水準をさほど超えていませんでした。しかも、それらの南韓の工業施設さえも、解放後の混乱期にたくさん毀損されてしまいました。
ところが、南韓は、日帝が残したまた別の歴史的資産を、大切によく保存しました。ほかでもない、近代的な法・制度と市場経済体制がそれでした。これらは、元々西ヨーロッパで発生して日本に渡ったのでした。だから、厳密に言えば日帝の遺産というより、20世紀の人類が共有する文明の資産とも言えるのです。先ほど何度も触れましたが、このような近代的な法と制度は、日帝が韓半島を永久併合するために移植したものでした。
解放後の大韓民国は、このような近代文明としての法と制度をそのまま保全して発展させました。もう少し詳しく言えば、日帝は1937年以後戦時期に入ると、市場経済体制を相当部分中止して、国家社会主義的な統制政策を取ります。食糧の供出と配給がその代表的な例です。このような日帝の戦時経済体制は、解放後、南韓では米軍政によって解体されました。そして大韓民国が樹立される時には、より自由な市場経済が活性化していました。このようにして、大韓民国は、日帝を通じてこの地に入って来た市場経済体制を復旧し発展させて、今日のような繁栄する市場経済を成立させることになったのです。
一方で、北朝鮮は、豊かな物的遺産を受け継いだが、日帝を通じて入って来た近代的な法と制度を廃棄してしまいました。社会主義革命をする目的のためだったのです。1946年、北朝鮮は「建国20箇条項」を発表し、「日帝が統治のために施行したすべての法を廃止する。」と言いました。また、「日帝の裁判機構を、人民から選抜された代表による人民裁判機構に取り替える。」と言いました。
財産権の絶対性を保障した民法が廃止されれば、どうなりますか? 法による裁判機構が解体されれば、その社会の人間たちはどんな境遇に置かれることになりますか? そのように、北朝鮮は近代文明を否定してしまいました。その結果、北朝鮮は、悲劇的に、文明の袋小路に立ち入ってしまいました。社会主義革命の熱気に浮き立っていた当時の人たちが、そういう文明史の悲劇をどうして予感できたでしょうか。しかし、人間精神の本質である自由、その自由の物的土台である財産制度が廃止されれば、そういう悲劇が発生するものと決まっています。
(続く)
これは メッセージ 213 (chaamiey さん)への返信です.
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