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イ・ヨンフン教授 特別講義 4(1)

投稿者: chaamiey 投稿日時: 2006/06/24 07:02 投稿番号: [213 / 1474]
日帝がこの地に残した遺産

<解放前後史の再認識>特別講義4

近代的意味の法と制度、そして市場経済体制

[ イ・ヨンフン / 2006-06-22 11:23 ]



  1945年8月15日、日帝は敗亡しました。永久併合と同化政策の掛け声が盛んであったが、結局無駄でした。彼らは、慌しく彼らの故郷に撤収して行きました。残ってくれと引き止める者は、誰もいませんでした。日帝が撤収した後、朝鮮の状況はどうなったでしょうか。再び1905年に大韓帝国が滅亡したその頃に原状復旧されたのでしょうか。

  ところが、決してそうではなかったのです。社会と経済の構造が変わっていました。何よりも、人間たちが昔の人間たちではなかったのです。このような現象を指して、経済学では「発展」または「開発」と言います。英語では developmentです。これは、成長(growth)とは異なる概念です。成長は、人の背が大きくなるというような概念で理解すれば良いです。背が160cmから170cmになること、それが成長です。国民所得が 1000ドルから2000ドルになること、それが成長です。

  開発(development)はそうではありません。この外来語の起源は生物学です。青虫が成虫になる過程、正しくそれが開発です。模様と器官が変わって複雑化するのですね。人がお母さんのお腹の中で受精した時は人間の姿ではありません。やがて徐々に人間の姿に変っていきます。そういうことを開発または発展と言うのです。ある社会が歴史的に開発されたり発展したと言えば、それはその社会の運動原理とその社会の付属器官が全然違ったものに変わっていて、ちょうど成虫が青虫に戻ることができいような、不可逆的な変化を経験することを言います。

  植民地近代化論は、正しくそういう開発が植民地期の韓半島で起きたと主張する学説ですね。人々が暮らし良くなったという話ではありません。青虫が成虫になったが、栄養状態と所得水準が良くなったとか悪くなったとか言うことができないことと同じです。

  では、どうして、そういう元の状態に戻ることができない不可逆の変化が生じたのでしょうか。前回に説明した、民法に象徴される近代の法と制度によってのことです。まさにその理由によって、1945年に日帝がこの地から撤収した後の韓半島は、決して1905年の大韓帝国当時の朝鮮に帰ることができなかったのです。まさにこの点が、日帝が残した歴史的遺産の本質です。

  日帝が残した歴史的遺産について、改めて、また落ち着いて、計算して見ましょう。遺産は、可視的な物的遺産と見ることのできない精神的遺産とに分けることができます。
  まず物的遺産として、南韓と北朝鮮の事情はかなり異なったことを指摘する必要があります。日帝は、北朝鮮に意外に豊かな物的遺産を残しました。1930年代後半から推進された軍需工業化の結果だったのです。解放後の1946年現在、北朝鮮では800個以上の大規模工場が稼動中でした。製鉄・製錬・電気・化学など、当時としては世界先端水準の工場群が北朝鮮にありました。
  特に1939年以後に日本から渡って来た電気・化学工業の大規模工場は、従業員数が3千または6千を超える場合もあったんですが、今まで知られたものだけでも200を超えます。その他、北朝鮮地域に敷かれた鉄道網は、人口当り鉄道マイレージで日本本土より高い水準でした。人口当り発電量でも、北朝鮮は日本をしのぐ水準でした。                                                                                                (続く)
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