Re: イ・ヨンフン教授 最新稿(3)
投稿者: chaamiey 投稿日時: 2006/06/22 20:08 投稿番号: [206 / 1474]
植民地収奪論 VS 植民地近代化論
『解放前後史の再認識』特別講義(3)日本の朝鮮同化政策が生んだ朝鮮近代化
[ イ・ヨンフン / 2006-06-21 ] (翻訳)(3)
http://www.new-right.com/read.php?cataId=nr03007&num=1701
そのほか、経済史研究者たちの精緻な統計的推定によれば、植民地期の1910〜1940年にわたり、韓半島の総所得は年平均3.7%の速度で持続的に成長しました。それは、当時の世界では高い水準でした。20世紀前半、世界の資本主義は停滞と危機の時代でした。それで、先進国と言っても、だいたい2%前後の低い成長率でありました。ところが、日本だけは特に3〜4%の高い成長率を見せ、我が韓半島も、日本の領土に編入されていたことにより、日本本土と同じ程度の経済成長率を見せたのです。
皆さんは、もう私の話に不快感と疳の虫を抑えきれないかも知れません。しかし、冷静に考えて見ましょう。 例えば、大韓民国という国があって、全羅道は年平均4%成長し、慶尚道は年平均 −4%で後退することはありえないでしょう。同じ理屈です。韓半島は日本帝国の一部分として日帝の領土になってしまいました。一領土になったことを指して、歴史学者たちが植民地と言っているだけです。まさにその理由によって、日本が経済成長したのと全く同じ程度に、韓半島でも経済成長が生じたのです。
なぜそのようになったのでしょうか? 日本へ米を奪って運んだのではなく、日本へ米を輸出したからです。当時は、輸出ではなく 「移出」といいました。とにかく日本の米代が朝鮮より高くて、市場原理によって日本に輸出されたわけです。その結果、輸出した農民や地主には輸出所得が発生するようになります。国内で米を処分するよりも多くの所得が発生します。それで経済が成長するのです。その輸出代金で日本の綿製品のような工産品も輸入して、満洲から足りない食糧も買入れて、銀行と会社に投資もして、工場も作ったりしたのです。
このような経済的変化をありのままに理解するために、私たちは、日帝が韓半島を植民地として支配した目的や方式というところから正しく知る必要があります。
日帝が韓半島を植民地として支配した基本目的は、いわゆる「永久併合」でした。日帝が残した統治資料を見れば、「永久併合」と言う言葉がうんざりする程によく出てきます。永久に日本の領土にするというわけです。日本の人々は、ここに20年とか30年とか住んだら帰ろうと思って来たのではないのです。永久に住もうと考えてやって来ました。この点をきちんと見つめる必要があります。
それで、「永久併合」という目的を果たすためにはどのようにしますか。何より、朝鮮の社会と経済を日本と同じように同化させる必要があります。そういう目的で、日帝は、自分の国の法と制度を植民地朝鮮に移植しました。そうしてこそ、日本人たちが朝鮮に渡って来て自分の国のように不便なしに楽に暮せるではありませんか。朝鮮人たちに対しては、その文化と精神を奪って日本人にしてしまえば、永久に併合しておくことができます。そうするためには、朝鮮の文化と精神をそのままにして置いてはいけないですね。新しい文化と精神を取り入れて、朝鮮人を日本人に変える必要がありました。そういう目的で、日帝は、近代的な法と制度を朝鮮に移植したのです。
『解放前後史の再認識』特別講義(3)日本の朝鮮同化政策が生んだ朝鮮近代化
[ イ・ヨンフン / 2006-06-21 ] (翻訳)(3)
http://www.new-right.com/read.php?cataId=nr03007&num=1701
そのほか、経済史研究者たちの精緻な統計的推定によれば、植民地期の1910〜1940年にわたり、韓半島の総所得は年平均3.7%の速度で持続的に成長しました。それは、当時の世界では高い水準でした。20世紀前半、世界の資本主義は停滞と危機の時代でした。それで、先進国と言っても、だいたい2%前後の低い成長率でありました。ところが、日本だけは特に3〜4%の高い成長率を見せ、我が韓半島も、日本の領土に編入されていたことにより、日本本土と同じ程度の経済成長率を見せたのです。
皆さんは、もう私の話に不快感と疳の虫を抑えきれないかも知れません。しかし、冷静に考えて見ましょう。 例えば、大韓民国という国があって、全羅道は年平均4%成長し、慶尚道は年平均 −4%で後退することはありえないでしょう。同じ理屈です。韓半島は日本帝国の一部分として日帝の領土になってしまいました。一領土になったことを指して、歴史学者たちが植民地と言っているだけです。まさにその理由によって、日本が経済成長したのと全く同じ程度に、韓半島でも経済成長が生じたのです。
なぜそのようになったのでしょうか? 日本へ米を奪って運んだのではなく、日本へ米を輸出したからです。当時は、輸出ではなく 「移出」といいました。とにかく日本の米代が朝鮮より高くて、市場原理によって日本に輸出されたわけです。その結果、輸出した農民や地主には輸出所得が発生するようになります。国内で米を処分するよりも多くの所得が発生します。それで経済が成長するのです。その輸出代金で日本の綿製品のような工産品も輸入して、満洲から足りない食糧も買入れて、銀行と会社に投資もして、工場も作ったりしたのです。
このような経済的変化をありのままに理解するために、私たちは、日帝が韓半島を植民地として支配した目的や方式というところから正しく知る必要があります。
日帝が韓半島を植民地として支配した基本目的は、いわゆる「永久併合」でした。日帝が残した統治資料を見れば、「永久併合」と言う言葉がうんざりする程によく出てきます。永久に日本の領土にするというわけです。日本の人々は、ここに20年とか30年とか住んだら帰ろうと思って来たのではないのです。永久に住もうと考えてやって来ました。この点をきちんと見つめる必要があります。
それで、「永久併合」という目的を果たすためにはどのようにしますか。何より、朝鮮の社会と経済を日本と同じように同化させる必要があります。そういう目的で、日帝は、自分の国の法と制度を植民地朝鮮に移植しました。そうしてこそ、日本人たちが朝鮮に渡って来て自分の国のように不便なしに楽に暮せるではありませんか。朝鮮人たちに対しては、その文化と精神を奪って日本人にしてしまえば、永久に併合しておくことができます。そうするためには、朝鮮の文化と精神をそのままにして置いてはいけないですね。新しい文化と精神を取り入れて、朝鮮人を日本人に変える必要がありました。そういう目的で、日帝は、近代的な法と制度を朝鮮に移植したのです。
これは メッセージ 205 (chaamiey さん)への返信です.
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