韓国人よ、現実を理解せよ!

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Re: 「硫黄島からの手紙」に欠けているもの

投稿者: trip_in_the_night 投稿日時: 2007/02/08 14:18 投稿番号: [9820 / 30895]
>そこに何故第3者の「朝鮮の青年たち」の「悽絶な心情」が必要なんでしょうねぇ?
>ならば米軍の日系2世の心情も描かなきゃいけないよなぁ・・・更にはアフリカ出身の
>黒人兵の心情、そして原住民であるインディアンの米兵の心情も必要となるかな?

うまい!
異国の朝鮮半島の「内戦」に散った何万という外国人の心情はどうなのでしょうか。
韓国人は感謝するどころか、充分に踏みにじってますが。

>「半島出身者」は分かるけど「半島と縁が深い人々」とはどんな人?

朝鮮半島で生まれ育ち、生活基盤のあった日本人ということでしょう。
そうした人たちが徴集されて、硫黄島に派遣されております。
それで、水不足に悩んでいたときに、朝鮮半島の川の水が話題になるという話がドキュメンタリー本に出てきます。

他に、「半島出身者」。(当時日本人ですから、カウントする必要はないのですが。)

『硫黄島戦における朝鮮人軍属について』(抜粋)
http://www.iwojima.jp/data/204/korean.html
チャンヒの回想のうち、徴用されてから硫黄島戦に至るまでの概要は以下のとおりである。
・昭和17年夏、居住していた川崎市から徴用令状を受け取り、茨城県の鹿嶋飛行場の建設作業に従事。
・約1年後、朝鮮人軍属200名と共に硫黄島に移される。すでに在島していた300人(海軍の下請け業者の作業員)と合流。作業員の3分の2以上が朝鮮人であった。
(中略)
・グアム、ハワイの収容所を経て、上記の友人と共に昭和21年12月に横須賀に帰還。以後も川崎に在住。

独立臼砲第二〇大隊に朝鮮出身者17名が含まれていた。この部隊は昭和19年4月に朝鮮鳥山府にて編成、7月1日釜山出港、14日に硫黄島着となっているので、朝鮮半島出身者が含まれるのもうなずける。もっとも、戦没者(同隊は450名中425名が戦死)の出身地を見ると、山口、長崎、福岡などが上位を占め、日本の他の地方も多く含まれているので、朝鮮人が主力の部隊ではない。また、この名簿は階級については掲載していないので、戦死した朝鮮人が軍属だったのか、軍人だったのかは不明である。

武市銀治郎『硫黄島』(大村書店   2001年)に「日本人の戦死率が約九六パーセントであったのに比し、朝鮮人のそれは約四五パーセントであった。」(163頁)との記述がある。数字の出所は示されていないので信頼度に不安はあるが、この数字を上記の戦死者115名に当てはめると、約140名の生還者がいたことになる。この数字は海兵隊の戦史にある「戦闘の大局が終わった時、216名の捕虜がいたが、主体は朝鮮人であった。」との記述にも符合する。
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