2匈奴とスキタイ
投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2010/01/20 21:51 投稿番号: [1783 / 3699]
“匈奴は、……家畜を放牧しつつ転々と移動した。……水と草を追って移動し、城郭とか定まった住居はなく、耕作に従事することもなかった。しかしそれぞれの領地に分けられていた。……子どもは羊に乗ることができるころから、弓を引きしぼって鳥や鼠を射た。少し大きくなると、狐や兎を射、それを食事とした。士卒は弓を引く力があれば、[戦争の際には]すべて甲冑をつけた騎兵となった。……形勢有利と見れば進撃し、不利と見れば退却し、平気で逃走した。”(注記1)
“……スキュティア民族は……彼らを攻撃する者は一人として逃れ帰ることができず、また彼らが敵に発見されまいとすれば、誰も彼らを捕捉することができないようにする方法を編み出したことである。それも当然で、町も城塞も築いておらず、その一人残らずが家を運んでは移動してゆく騎馬の弓使いで、生活は農耕によらず家畜に頼り、住む家は獣に曳かせる車である──そのような民族にどうして戦って勝つことはもとより、接触だにすることができよう。……スキュティアの国土は牧草に富み水も豊かな平原で……”(注記2)
この二つの記述における、匈奴・スキタイ両者の特徴の共通点を列挙してみると、
・匈奴:家畜を放牧しつつ転々と移動。水と草を追って移動。
・スキタイ:家を運んでは移動してゆく。家畜に頼り。国土は牧草に富み水も豊か。
・匈奴:城郭とか定まった住居はなく。耕作に従事することもなかった。
・スキタイ:町も城塞も築いておらず。生活は農耕によらず。
・匈奴:弓を引く力があれば、甲冑をつけた騎兵となった。
・スキタイ:騎馬の弓使い。
・匈奴:形勢有利と見れば進撃し、不利と見れば退却し、平気で逃走。
・スキタイ:攻撃する者は一人として逃れ帰ることができず、誰も彼らを捕捉することができない。
多少の前後はあれ、司馬遷もヘロドトスも、まったく同じことを書いている。司馬遷は紀元前2世紀末〜紀元前1世紀初にかけての前漢人、ヘロドトスは紀元前5世紀のギリシア人であり、かれが司馬遷の書を見ることはありえない。また張騫がようよう大月氏にたどりついたり、李広利がやっとのことでフェルガーナを征服した、そんな時代に生きた司馬遷が、ギリシア語の文献を手に取れるはずもない。
つまり、この二人の観察眼と選択眼、つまり歴史家/編纂者(デスク)としての能力が、いかに優秀かつ適格であったかということだ。社会的外見だけでなく、モラル・習俗まで、最も特徴的なところを、過不足なく抉り出している。
そして両者の記述から、モンゴル高原の匈奴と黒海北方のスキタイが、均質な文化を保持していたということが、はっきりと分かる。もちろんこれは、考古学の方面からも裏付けられる。草原のシルクロードというのは、文化伝達と形成のハイウェイであったのである。
“……スキュティア民族は……彼らを攻撃する者は一人として逃れ帰ることができず、また彼らが敵に発見されまいとすれば、誰も彼らを捕捉することができないようにする方法を編み出したことである。それも当然で、町も城塞も築いておらず、その一人残らずが家を運んでは移動してゆく騎馬の弓使いで、生活は農耕によらず家畜に頼り、住む家は獣に曳かせる車である──そのような民族にどうして戦って勝つことはもとより、接触だにすることができよう。……スキュティアの国土は牧草に富み水も豊かな平原で……”(注記2)
この二つの記述における、匈奴・スキタイ両者の特徴の共通点を列挙してみると、
・匈奴:家畜を放牧しつつ転々と移動。水と草を追って移動。
・スキタイ:家を運んでは移動してゆく。家畜に頼り。国土は牧草に富み水も豊か。
・匈奴:城郭とか定まった住居はなく。耕作に従事することもなかった。
・スキタイ:町も城塞も築いておらず。生活は農耕によらず。
・匈奴:弓を引く力があれば、甲冑をつけた騎兵となった。
・スキタイ:騎馬の弓使い。
・匈奴:形勢有利と見れば進撃し、不利と見れば退却し、平気で逃走。
・スキタイ:攻撃する者は一人として逃れ帰ることができず、誰も彼らを捕捉することができない。
多少の前後はあれ、司馬遷もヘロドトスも、まったく同じことを書いている。司馬遷は紀元前2世紀末〜紀元前1世紀初にかけての前漢人、ヘロドトスは紀元前5世紀のギリシア人であり、かれが司馬遷の書を見ることはありえない。また張騫がようよう大月氏にたどりついたり、李広利がやっとのことでフェルガーナを征服した、そんな時代に生きた司馬遷が、ギリシア語の文献を手に取れるはずもない。
つまり、この二人の観察眼と選択眼、つまり歴史家/編纂者(デスク)としての能力が、いかに優秀かつ適格であったかということだ。社会的外見だけでなく、モラル・習俗まで、最も特徴的なところを、過不足なく抉り出している。
そして両者の記述から、モンゴル高原の匈奴と黒海北方のスキタイが、均質な文化を保持していたということが、はっきりと分かる。もちろんこれは、考古学の方面からも裏付けられる。草原のシルクロードというのは、文化伝達と形成のハイウェイであったのである。
これは メッセージ 1782 (aki_kaze_u_ru_ru さん)への返信です.
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