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3匈奴とスキタイ

投稿者: aki_kaze_u_ru_ru 投稿日時: 2010/01/20 21:51 投稿番号: [1784 / 3699]
現在では、匈奴といいスキタイといい、なにかひとつの言語や民族から成り立つ集団ではないという認識が一般化しつつあるようで、その名も象徴的な呼称であって、ある種の伝統性と権威性を帯びていたらしい。そのあたりはいかにも、広い草原を駆けめぐり、口承伝承に頼る遊牧民らしいところだ。インドの「ムガール」帝国は、「モンゴル大ハーン」の子孫という権威をよりどころにしたし、あるいは「トルコ」という名にも、そうしたものがまつわるだろう。だから、かつて中欧を席捲した「フン」も、匈奴(フンナ)とはまったく同一民族ではないかもしれないが、均質な文化と伝統・伝承を共有するそれぞれの部族として同一称呼を名乗っていた、あるいは周辺からそう呼ばれ意識されたということで、なんら矛盾は出ないことになるのである。そしてそこからさらに私が無茶な想像を膨らませると、「キ」ョウ「ド」もス「キ」「タ」イも、じつは同じ言葉が、洋の東西で大きく隔たって記録されたのかもしれないとすら思う。

   現に、前漢の青年将軍霍去病に打ち破られて捕虜となり、後に武帝に取り立てられた匈奴の王子である金日テイ(テイは石へんに單)は、当時の寸法で身長八尺二寸というのだから雲つくような大男で、容貌もいかめしかったと書かれているし、むしろスキタイを思わせ、今の西欧人同然であったと考えてもおかしくない。また霍去病の陵墓に置かれた「馬に組み敷かれる匈奴の石像」は長髯と高い鼻を持ち、北魏〜隋唐の明器の武官像は、のっぺり顔の文官に比して、猛々しいぎょろ目と美髯でこちらを威圧する。

   スキタイ族も、こうして東アジアにまで(匈奴?   ソグド?)、しぶとく生き残っていたのだろうか。

注記1   司馬遷『史記列伝   四』の内、匈奴列伝第五十、小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳、岩波文庫より
注記2   ヘロドトス『歴史   中』の内、巻四、四六節〜四七節、松平千秋訳、岩波文庫より

(執筆者:濱田英作   国士舘大学教授    編集担当:サーチナ・メディア事業部)
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