FTA交渉、韓国の要求を米国に強く表明
投稿者: japanese_chosun 投稿日時: 2007/03/26 23:57 投稿番号: [34620 / 38959]
【ソウル26日聯合】韓米自由貿易協定(FTA)締結に向けた高官級最終交渉が始まった26日、韓国代表団は反ダンピングや自動車、開城工業団地問題について、韓国の要求を強く伝えた。
金宗フン(キム・ジョンフン)首席代表は夜の記者会見で、3月末の交渉期限に縛られ無理に妥協することはしないと述べた。交渉内容が当初の期待に達しなかったり、米国がコメなど受け入れ難い部分に触れるならば決裂も辞さないと、断固とした態度を示した。
反ダンピング手続きの改善など貿易救済問題では、韓国の業界にとって実質的に助けとなる内容が必要との点を強調したという。自動車の場合、米国の関税撤廃が満足できるような水準でなければ、韓国も排気量基準の税制改善など米国の要求を受け入れることはできないとの立場を伝えたと説明した。開城工業団地問題は、交渉文案に進展した内容を反映させるよう促したという。
解決が難しい争点については、後日協議するという「ビルトイン」方式が検討されていたが、政府はこれを開城工業団地問題だけに適用する方針を固めたようだ。権五奎(クォン・オギュ)副首相(財政経済部長官兼任)が同日明らかにしている。貿易救済の場合、米国が法改正は難しいとの立場を曲げていないが、法を改正しないやり方で韓国の要求を最大限受け入れるよう米国に圧力をかけていく考えだ。
この日、双方交渉団は午前9時30分から通商代表協議をはじめとする高官級の最終協議に臨んだが、意見は厳しく対立しており、まだ成果は出ていない。
高句麗は古朝鮮を継承した国家だった!?(上)
紀元前2333年を「建国年代」とする記述方式のため、最近「国史(韓国史)」の国定教科書が修正され、ある放送局は100部作ドラマ『檀君』の制作を進めている。このように韓国史上最初の国家である「古朝鮮」に対する関心が急激に高まる中、現在まで一般的に知られている古朝鮮の滅亡年代に誤りがあるとの指摘が出された。
現行の高校用国史教科書には、「古朝鮮は…(中略)…長期間の戦争で支配層の内紛が起き、王倹城が陥落し滅亡した(紀元前108年)」と記述されている。しかし、韓国古代史を専攻する又石大の趙法種(チョ・ボプチョン)教授(写真)は、最近出版した研究書『古朝鮮高句麗史研究』(新書院)で、「1次史料を綿密に分析した結果、古朝鮮の滅亡年代は紀元前108年ではなく107年であることが明らかになった」と主張した。この1年の時差には非常に重要な意味が隠されている。なぜならば、この1年の時差により、古朝鮮の首都の位置を通説とは異なる場所に比定し得る解釈上の余地が生じるからだ。
では、漢の武帝が衛氏朝鮮に侵攻した紀元前108年には一体何が起きたのだろうか。
紀元前108年、衛氏朝鮮の尼谿相(地方行政の長官職)の参(チャム)が右渠王(ウゴワン)を殺害し、漢に投降した。しかし、その際に首都王倹城も陥落した訳ではない。代わりに成己(ソンイ)が王倹城に籠り、抗戦を継続した。だが成己は右渠王の息子・長降(チャンハン)らに殺され、最終的に王倹城が陥落したのは、『史記』功臣諸侯表によると紀元前107年のことだという。
こうした古朝鮮の滅亡年について、趙法種教授は「通説では紀元前108年滅亡とされているが、これは司馬遷が『史記』朝鮮列伝の紀元前108年条に、漢の衛氏朝鮮侵攻から滅亡までの内容をまとめて記録したために生じた誤解」と主張している。
文=ユ・ソクジェ記者
写真=ホ・ヨンハン記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS
金宗フン(キム・ジョンフン)首席代表は夜の記者会見で、3月末の交渉期限に縛られ無理に妥協することはしないと述べた。交渉内容が当初の期待に達しなかったり、米国がコメなど受け入れ難い部分に触れるならば決裂も辞さないと、断固とした態度を示した。
反ダンピング手続きの改善など貿易救済問題では、韓国の業界にとって実質的に助けとなる内容が必要との点を強調したという。自動車の場合、米国の関税撤廃が満足できるような水準でなければ、韓国も排気量基準の税制改善など米国の要求を受け入れることはできないとの立場を伝えたと説明した。開城工業団地問題は、交渉文案に進展した内容を反映させるよう促したという。
解決が難しい争点については、後日協議するという「ビルトイン」方式が検討されていたが、政府はこれを開城工業団地問題だけに適用する方針を固めたようだ。権五奎(クォン・オギュ)副首相(財政経済部長官兼任)が同日明らかにしている。貿易救済の場合、米国が法改正は難しいとの立場を曲げていないが、法を改正しないやり方で韓国の要求を最大限受け入れるよう米国に圧力をかけていく考えだ。
この日、双方交渉団は午前9時30分から通商代表協議をはじめとする高官級の最終協議に臨んだが、意見は厳しく対立しており、まだ成果は出ていない。
高句麗は古朝鮮を継承した国家だった!?(上)
紀元前2333年を「建国年代」とする記述方式のため、最近「国史(韓国史)」の国定教科書が修正され、ある放送局は100部作ドラマ『檀君』の制作を進めている。このように韓国史上最初の国家である「古朝鮮」に対する関心が急激に高まる中、現在まで一般的に知られている古朝鮮の滅亡年代に誤りがあるとの指摘が出された。
現行の高校用国史教科書には、「古朝鮮は…(中略)…長期間の戦争で支配層の内紛が起き、王倹城が陥落し滅亡した(紀元前108年)」と記述されている。しかし、韓国古代史を専攻する又石大の趙法種(チョ・ボプチョン)教授(写真)は、最近出版した研究書『古朝鮮高句麗史研究』(新書院)で、「1次史料を綿密に分析した結果、古朝鮮の滅亡年代は紀元前108年ではなく107年であることが明らかになった」と主張した。この1年の時差には非常に重要な意味が隠されている。なぜならば、この1年の時差により、古朝鮮の首都の位置を通説とは異なる場所に比定し得る解釈上の余地が生じるからだ。
では、漢の武帝が衛氏朝鮮に侵攻した紀元前108年には一体何が起きたのだろうか。
紀元前108年、衛氏朝鮮の尼谿相(地方行政の長官職)の参(チャム)が右渠王(ウゴワン)を殺害し、漢に投降した。しかし、その際に首都王倹城も陥落した訳ではない。代わりに成己(ソンイ)が王倹城に籠り、抗戦を継続した。だが成己は右渠王の息子・長降(チャンハン)らに殺され、最終的に王倹城が陥落したのは、『史記』功臣諸侯表によると紀元前107年のことだという。
こうした古朝鮮の滅亡年について、趙法種教授は「通説では紀元前108年滅亡とされているが、これは司馬遷が『史記』朝鮮列伝の紀元前108年条に、漢の衛氏朝鮮侵攻から滅亡までの内容をまとめて記録したために生じた誤解」と主張している。
文=ユ・ソクジェ記者
写真=ホ・ヨンハン記者
朝鮮日報/朝鮮日報JNS