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軽部慈恩(1897‐1970年)

投稿者: melancholy_night 投稿日時: 2006/11/29 23:36 投稿番号: [32758 / 38959]
軽部慈恩の収集活動に多少問題があったとしても『盗掘王』呼ばわりはあんまりでしょう。終戦後の引き揚げ者は僅かな所持金以外に財産を持ち帰ることを禁じられほとんど着のみ着のままで帰国しなければならなかったことを考えれば答えは自明。行方不明の遺物は戦後のどさくさに朝鮮人の泥棒に盗まれたと考える他ありません。終戦前に持ち帰った資料は各地の博物館に寄贈しています。



軽部慈恩(1897‐1970年)
http://www.city.mishima.shizuoka.jp/kakukaHP_system_kanrika/amenity/rekishi/kyodoshi/kyodoshi.htm


http://www.ops.dti.ne.jp/~shr/wrk/1996g.html
九州帝國大學朝鮮考古資料の収集経緯

出典:『九州考古学』第71号:福岡・九州考古学会(1996),90-103頁

資料調査を継続できない事情が生じ,総論篇として全体像を記したもの。実測図がまったくなく,収集経緯の分析に終始している。

つまみ食い的な紹介よりも,悉皆性を優先すべきとの考えによるものであるが,問題も残る。本稿の後にいくつかの機関を調査して知ったのは,戦前の福岡県では,旧制中学・高校でも身近な地域での表面採集などが行われており,その伝統は戦後の新制高校にも引き継がれているという事実である。九州帝国大学の朝鮮半島踏査は,その結果の,しかもごく一部であって,これだけを切り取って論じるのは勇み足であった。(18/Apr/2002)


  軽部は当時学界を牛耳っていた帝國大學の出身ではなく,植民地権力の中心からも外れていた。彼の盛んな発掘・採集活動や執筆活動,さらに寄贈活動は,彼なりの上昇志向の発露であったのかもしれない。

  1945年の終戦時,軽部の収集資料は公州に残したとされているが,その行方は明かでない。國史學研究室への寄贈資料は,その動機・経緯に問題とすべき点があるとしても,戦前の寄贈のため現代に伝わった貴重な資料である。



http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2006/11/28/20061128000056.html
ホーム > 社会 記事入力 : 2006/11/28 18:00
日本人「盗掘王」が持ち去った百済の遺物4点、返還へ
  日帝強占期、彼は「盗掘王」と呼ばれた。

>   寄贈式は今月29日に開かれる予定だが、遺族は出席しない。


盗んだ遺物を返せと叫ぶ韓国人に遺族が嫌気が差したであろうことは想像に難くありません。
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