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天皇の艦長、漢那憲和 第1章 (6

投稿者: u26699jp 投稿日時: 2004/01/28 00:45 投稿番号: [8516 / 49973]
http://messages.yahoo.co.jp/bbs?.mm=GN&action=m&board=2000549&tid=jf9qa4nbpa5fa5mc0oaha4k4xoa2a47a4f&sid=2000549&mid=1970

先ほど引用した箇所、

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  「親孝行者でしたよ。学用品を買う10銭の金を貰うのにも10日前から告げ、残った金は1銭でも5厘でも返して、貧しい母親をいたわったものです」(『毎日新聞』、昭和14年1月21号より)。

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のすぐ次の箇所をそのまま引用するが、そのまえに、先に引用した“『貧乏人が』云々と冷笑する者もいた”という部分を思い出しつつ次の下記引用部分を読んでいただきたい。



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  当時、小学校高等科は4年制であった。そして2年生になると、中学校への入校準備が始まった。しかし、漢那の祖父憲敬が中学進学に反対した。

  「貧乏人は学問する必要はない。小学校で充分だ。県庁の給仕でもさせて、早く家を継がそう」

  こういって母オトに命令した。しかし、オトは反発した。

  「大和世(ヤマトユー)は、支那世(シナユー)とは違う。今からは学問の時代だ。どんなことがあっても、憲和を中学へ入れる」

  また、この話しを耳にした那覇尋常小学校校長の橘豊や、恩師の宮原一郎が憲敬を説得し、学資援助まで申し込んだのである。

  こうして漢那は、小学校高等科に在校すること2年、同年4年の卒業をまたずに、沖縄中学校へ進学した。ときに明治24年(1891)、漢那14歳の春であった。

  オトの気丈さと先見性は、歴史が作ったのであろう。

  彼女が生を受けた安政年間(1850年代)というのは、列強の艦隊が次々と沖縄に寄港し、武装した水兵たちが傍若無人に振舞っていたからである。少女オトの眼底には、この恐るべき西洋文明が、痛いほど焼きついていたに違いない。



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著者は“気丈さと先見性”と形容しているが、その気丈さは後々大いに証明される。

それにしても、貧しいからといってめげるような人ではなかった。まさに賢母である。

著者はこの本を通じて、教育とは何ぞや、と強く訴えかけたいに違いない。


私事で恐縮ではあるが、私は例の『先の大戦で一木一草も残さず』云々という台詞が大嫌いである。ムシズが走る。

そのような言葉を吐く暇があるなら、ぶつぶつ言わずに植えればよい。

いつまでお涙頂戴の三文の値打ちもない女々しいことをホザクつもりか!

泣いている間に植えていれば、南部は今頃緑豊かな南国情緒溢れる森林が、素晴らしい景観を成していたであろう。ここは亜熱帯、さほど手を加えなくてもさっさと育つ。

繰返す、ぶつぶつ言って泣いている間に植えろ!



先の大戦で失ったのは数多の人命と数多くの文化財、その他に、漢那の母が持っていたような“気概”であろう。
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