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はじめまして

投稿者: honneiitaiyon 投稿日時: 2003/09/03 10:23 投稿番号: [7407 / 49973]
「戦前の日本人の思考」という事で、うちの両親の場合ですが、一言で言えば「止むに止まれぬ事情があった」と大正初年生まれの父は申しております。

そして勝てると思ったのか?と聞くと「勝てるとは思わなかったが、勝たなければならなかった」と少し意味の不明なこともいいます。父は工作機械の設計技師でしたので、日本の技術程度を普通の人間よりは冷静に判断する能力と立場にありましたが、兵器などを作る機械も元は皆アメリカなどのものを使っているか参考にしたものばかりで、そういう先生みたいな進んだ国と戦って勝てる見込みは非常に怪しいものだと思って居たと言います。

しかし、当時の日本は追い込まれた立場にあり、座して死ぬか戦って死ぬかを選択せざるを得なかったのだと話してもいました。石油を絶たれた事が一番そういう決断をさせる事に大きな要因だったとも父は申していました。

母は昭和の始め生まれですが、田舎(四国)で女学校に通っていましたが、彼女も勝つとは思わなかったと申します。
「あんな大きな国と戦って勝てる訳ない」と今でも言いますし、開戦の報を聞いた周囲の人間も大体そういう認識だったと言います。
では、軍部が勝手に皆やったのか?と聞くとそういう部分も確かにあったと。軍部は物理的力を持っていて闘いたがったのではないか?と言う風な事を母は言いますが、では反戦なのか?と聞くと「いや、そうではない。誰も身近なもの、土地のもので反戦的な考えのものは居なかった」と言います。

結論として、当時の状況としては仕方なかった。外に道はなかった。と言う事なのではないだろうか?と両親の言い分を聞いて思います。

また勝てると思わなかったが、こうなれば潔く戦う事が一般の人間のやるべきことなのだと考えていたのではないだろうか?
父も母も兄弟を戦地に出しており、戦死者も多いですがそれを積極的に嘆いたり今のようなただ、赤紙で戦地に引っ張られて行く、と言うような100%受身で国に利用されたと言う認識はなかったとの事です。
誰も泣き喚いたり、せず粛々と運命を受け入れたということだったと言います。
ほんとうに不思議なほど両親は戦死した者のことを悔やんだり反戦的な言質は言いません。ただ、靖国神社の問題などが起こると、両親は感情を顕にします。両親にはやはり、亡くなった兄弟は靖国に居る、と言う思いがあるのでしょう。

ルバング島の小野田さんのお母様がそんな感じでしたね。

大多数の当時の人の認識は判りませんが、うちの父母の場合を書いてみました。

突然、飛び込みましてゴメンなさい。
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