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氏と姓

投稿者: nishina3777 投稿日時: 2003/04/17 10:31 投稿番号: [3406 / 49973]
  日本で近代的な戸籍が作られたのは、維新後すぐの明治5年、いわゆる壬申戸籍である。これにより、日本は身分制社会から均一な国民で構成される国民国家、つまり、諸身分自治社会の相関的な結合体としての国家から中央集権的、画一的、統制的な近代国家への第一歩を踏み出したのである。現在に続く近代国家の統治の基本は住民を一人一人均一な「国民」として把握、管理することに基礎をおくものであり、その手段が戸籍の整備であった。
  そのため近代日本の氏制度(過去の氏とは意味が異なる)もこの時に創られた。日本伝統の姓、苗字、通称、実名の複名習俗は禁止され、新たに氏と名のみとなり、明治8年には、全国民に氏を設定することを義務づけた。
  例   源(姓)徳川(苗字)次郎三郎(通称)家康(実名)が
  徳川(氏)家康(名)となる。

  朝鮮では、日韓合併直後の明治45年3月、朝鮮民事令が公布され、翌年4月施行された。この法令で朝鮮では日本の民法を適用すると規定したが、朝鮮人の親族、相続に関しては日本の民法を適用せず、朝鮮の慣習に従わせることに決定した。ちなみにそれまで朝鮮には一個の法制としての親族、相続法は存在しなかった。
  朝鮮に戸籍制度が登場するのは大正11年に朝鮮戸籍令が公布、翌年施行されてからで朝鮮独自の方式がとられ、日本の戸籍法とは区別された。
  ちなみに併合前から日本国内で朝鮮人が日本名を名乗ることは多く行われ、朝鮮では特に併合後、日本人、朝鮮人間の手当の格差などから日本名を名乗る朝鮮人が問題となり、大正5年頃まで朝鮮人が日本名を付することを禁止する措置が執られた。1934年の大阪府の調査によると、当該地区在住朝鮮人世帯主11835人中日本名を有していた者6.31%、有していない者93.69%、その家族31951人中有していた者5.87%、有していない者は93.77%であった。
 
  対中戦争が長期化する中で、1938年すでに日本国内で施行されていた国家総動員法を朝鮮、台湾及び樺太に施行する件が決定され、朝鮮は総力戦体制に組み込まれていった。その一環として、朝鮮人の戸籍を日本人の戸籍と同一の形式に改めようとする動きが起こった。
  1939年11月10日、氏制度の導入(創氏)と改名について朝鮮民事令中改正の件(制令19号)と同年11月24日、朝鮮人の氏名に関する件(制令20号)が発布され、翌年2月に施行された。そもそも朝鮮には氏(家族の名)はなく、姓(男系血族の名)があるだけであった。例えて言うと、氏制度では同一家族内の成員全員が鈴木などの同一の家族名を名乗るもので、姓制度では同一家族内でも男系血族が違う者(妻など)は違う姓を名乗った(例、夫は朴、妻は陸、子供は男系から朴を名乗る)。
  創氏は設定創氏と法定創氏に分けられた。前者は役所に出向き「氏設定届」を住居地の長に提出して新しく日本風の家族名=氏を設定したものであり、後者は役所に届け出をしなかった者に役所が勝手にそのままの姓(金とか朴など)を氏として決定したものである。
  改名制度は日本風の氏をつけた場合、新しい氏と釣り合うような名前に改名できるようにした制度であり、任意であったため名変更許可申請を提出するときに50銭の改名手数料がとられた。
  上記の法律で創氏改名に関して天皇の名前の使用と、自分の姓以外を氏にする事が禁じられた。朝鮮の戸籍には新しく創られた氏と名前以外に本貫と姓の欄がもうけられた。
 
  例えば設定創氏の場合、夫   氏伊藤、姓朴、名正熙、妻   氏伊藤、姓陸、名英修、子   氏伊藤、姓朴、名槿恵
 
  法定創氏の場合、夫   氏朴   姓朴   名正熙、妻   氏朴、姓陸、名英修、子   氏朴、姓朴、名槿恵

  と言った具合。
  この時に日本風の名前を迫られてふざけた氏名にしたり、重ねると畜生となるような氏名を選んで創氏改名に抵抗したと言う話がよく伝えられるが実話としては確認されていない。

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