>私の書き方が悪かったのでしょうか
投稿者: kuuboakagi00 投稿日時: 2003/04/15 18:58 投稿番号: [3290 / 49973]
>>例えば、下克上の世の中で身分が下の者が力のない主君を倒すのは、その時代では認められましたが、後の江戸時代では主君に反抗することは最大の罪でした。
>当時の人はそれを悪いこととは感じていなかった、と云うことでしょう
他の方のレスの部分ですが。
中国の易姓革命の思想は、徳を失った君主は(実力で)倒してもよいというものですね。同じ思想は西洋の暴君放伐(モナルコマキ)にもみられます。
秩序が一応整った後ではこういう運動は正当性をもたない、ということでしょう。
これに関しては、別トピででた上田秋成の雨月物語の中の「白峰」の話があります。
政争に破れ非業の死をとげた崇徳帝の霊が西行にいうことば。
「天子の位と言うものは人間の最上の位なのだから、もし上にたつ天子が人道をみだしたときは、天の命に応じ、民の望みにしたがって、これをうつ。自分の行為の何処が間違っているのか」
西行はこう反論する。
「そのような考えは天照大御神以来のわが国には適さない。かの国の聖の教えもわが国には敵さない。だからこそ、シナから多数の書物が渡ってきても『孟子』だけは積んだ船が必ず神風に遭って沈んでしまって日本にこないといわれるのだ」
更なる崇徳帝の反論ははぶきますが、易姓革命についての考えの違いは中世からあったみたいですね。
ついでに言いますと、同じ国粋主義者でも秋成と本居宣長はかなり違っており、本居は天照大御神の絶対性と日本の伝統の絶対性・普遍性を主張しますが、秋成は、これらの絶対性・普遍性も一国一天地といっています。孟子の教えがシナという国の限界を持つなら、神道も日本という限界をもつはずだ。秋成が正しそうに見えます。
ところが、思想は地理的限界を超えて広がる場合もありますから、本居の考えがまったく間違いだともいえない。
>当時インドネシアの人たちはオランダ統治をどの様に思っていたのか?
インドネシアの人たちは諦めていた人が多いと思うのですが
日本の活躍で勇気づけられ独立を勝ち取るため戦った。
ここのところに感情の変化が見られます。
これは、小林が漫画でいっていることで、その通りだとおもいます。この点が日本がもたらした最大の点だとおもいます。ビルマの独立軍の指導者のことばにも、「日本軍がやって来た後のビルマはもはや以前のビルまではなかった。戦うことを知ったビルマになったのだ」というのがあります。
私の書いた「アジア開放の理想がなければあれだけ勇敢には戦えなかった」というのはシンガポール攻略戦に参加した兵士の言葉です。
「まさかマレーにまできて華人に迎え撃たれるとは思ってもみなかった。シンガポールではこちらもずいぶんやられましたからね。降伏した英軍や豪軍などはのんきに鼻歌などうたっているのに、あんな連中の手先になりやがってと、腹がたちましたよ。当時の我々と言うのは、心底東洋人のための東洋を実現するために戦っていたわけですし、またそれでなければあれだけの戦友の血を流して戦い抜くことは出来ませんでしたね」
マレー半島全体の日本軍の戦死者、死傷者の数ずより、シンガポールだけの戦死者、死傷者の数の方がおおかったのです。おまけに、華人の多くは便衣隊姿でした。
私は、シンガポールのいわゆる華人虐殺は、このコンテクストで捉えています。(これも内実は色々な説がありますが、まあ、中国人側が言っていることは嘘ぱちがおおいですね)
そのあと、日本軍は討ち漏らした華人ゲリラ掃討のため、マレー半島に一部とってかえすのですが、そのとき、一般華人に対してはどう対応したかは興味深い話もあります。本題からはそれるので。
>当時の人はそれを悪いこととは感じていなかった、と云うことでしょう
他の方のレスの部分ですが。
中国の易姓革命の思想は、徳を失った君主は(実力で)倒してもよいというものですね。同じ思想は西洋の暴君放伐(モナルコマキ)にもみられます。
秩序が一応整った後ではこういう運動は正当性をもたない、ということでしょう。
これに関しては、別トピででた上田秋成の雨月物語の中の「白峰」の話があります。
政争に破れ非業の死をとげた崇徳帝の霊が西行にいうことば。
「天子の位と言うものは人間の最上の位なのだから、もし上にたつ天子が人道をみだしたときは、天の命に応じ、民の望みにしたがって、これをうつ。自分の行為の何処が間違っているのか」
西行はこう反論する。
「そのような考えは天照大御神以来のわが国には適さない。かの国の聖の教えもわが国には敵さない。だからこそ、シナから多数の書物が渡ってきても『孟子』だけは積んだ船が必ず神風に遭って沈んでしまって日本にこないといわれるのだ」
更なる崇徳帝の反論ははぶきますが、易姓革命についての考えの違いは中世からあったみたいですね。
ついでに言いますと、同じ国粋主義者でも秋成と本居宣長はかなり違っており、本居は天照大御神の絶対性と日本の伝統の絶対性・普遍性を主張しますが、秋成は、これらの絶対性・普遍性も一国一天地といっています。孟子の教えがシナという国の限界を持つなら、神道も日本という限界をもつはずだ。秋成が正しそうに見えます。
ところが、思想は地理的限界を超えて広がる場合もありますから、本居の考えがまったく間違いだともいえない。
>当時インドネシアの人たちはオランダ統治をどの様に思っていたのか?
インドネシアの人たちは諦めていた人が多いと思うのですが
日本の活躍で勇気づけられ独立を勝ち取るため戦った。
ここのところに感情の変化が見られます。
これは、小林が漫画でいっていることで、その通りだとおもいます。この点が日本がもたらした最大の点だとおもいます。ビルマの独立軍の指導者のことばにも、「日本軍がやって来た後のビルマはもはや以前のビルまではなかった。戦うことを知ったビルマになったのだ」というのがあります。
私の書いた「アジア開放の理想がなければあれだけ勇敢には戦えなかった」というのはシンガポール攻略戦に参加した兵士の言葉です。
「まさかマレーにまできて華人に迎え撃たれるとは思ってもみなかった。シンガポールではこちらもずいぶんやられましたからね。降伏した英軍や豪軍などはのんきに鼻歌などうたっているのに、あんな連中の手先になりやがってと、腹がたちましたよ。当時の我々と言うのは、心底東洋人のための東洋を実現するために戦っていたわけですし、またそれでなければあれだけの戦友の血を流して戦い抜くことは出来ませんでしたね」
マレー半島全体の日本軍の戦死者、死傷者の数ずより、シンガポールだけの戦死者、死傷者の数の方がおおかったのです。おまけに、華人の多くは便衣隊姿でした。
私は、シンガポールのいわゆる華人虐殺は、このコンテクストで捉えています。(これも内実は色々な説がありますが、まあ、中国人側が言っていることは嘘ぱちがおおいですね)
そのあと、日本軍は討ち漏らした華人ゲリラ掃討のため、マレー半島に一部とってかえすのですが、そのとき、一般華人に対してはどう対応したかは興味深い話もあります。本題からはそれるので。
これは メッセージ 3289 (mamada2582 さん)への返信です.
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