angrykoreanさんへ8
投稿者: CDU_CSU 投稿日時: 2003/04/15 01:48 投稿番号: [3246 / 49973]
あなたの尊敬する高宗・大院君について
1895年李朝朝鮮第26代国王・高宗の妃を日本が暗殺した、いわゆる閔妃殺害事件
は韓国人によって史上最悪の蛮行などと言われる。
しかしこの事件だけを歴史から切りとるのではなく全体をみなければ歴史を正しく理解
できない。
当時の朝鮮にとって不幸だったのは高宗が全く国王の器ではなかったことだ。
高宗は決断力がなく気弱でまわりの人間のいいなり、関心があることといえば自分の
ハーレムの事だけであった。
そのような状況の中で高宗の父である大院君と高宗の妻である閔妃の一族が権力闘争
をして閔妃が勝ち、独裁権力をふるっていた。
1880年代のはじめ閔妃は日本に助けてもらって朝鮮の近代化を達成しようとして
まず日本の援助で西洋式の装備をもつ軍隊を編成した。(しかしながらこの事実は韓国
では、かくされている。日本に殺された悲劇のヒロインが日本に援助を求めた事実が
あっては恥辱だからだ。)
しかしこの新式軍は旧来の弓矢で武装した朝鮮軍の反感を買った。ここで閔妃を倒し、
あくまでも東洋的専制王朝を維持して民衆を搾取したい大院君と利害が一致し1882年
大院君と旧軍が武装蜂起し閔妃一族と援助していた日本人を虐殺した。(壬午政変)
朝鮮の宗主国、中国の清王朝はすぐに軍を送り大院君を捕らえ閔妃を助けたので閔妃は一気に
親清派となり清を手本として東洋的専制王朝を維持しようとするようになった。
そして宮廷内でも事大党と呼ばれる近代化を拒否し清の属国として専制体制を守り民衆を
搾取し続けたい守旧派貴族が政権をにぎった。
これに対し日本の明治維新を学習して近代化をはかり清からの独立を願う独立党と呼ばれる
貴族官僚がいた。
彼らは日本に留学した独立党指導者、金玉均や朴泳孝に率いられ日本の援助で1884年
クーデタを起こし事大党政権を打倒して革新政権を樹立したが閔妃派の要請で清が大軍を
派遣し、たちまちつぶされてしまった。(甲申事変)
(韓国高校教科書では事変は日本のせいで失敗したことになっているが明らかに歴史歪曲である)
これは メッセージ 3245 (CDU_CSU さん)への返信です.
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