教育
投稿者: bosintang 投稿日時: 2003/04/13 02:26 投稿番号: [2810 / 49973]
>次に学校、これも同じ脈ですが、門外なので最初から日本人と朝鮮人を同じ学校にしたかは解かりませんが、愚民化して楽に支配するためにはまず大学設立を禁止して、民族学校は最高専門学校レベルまでにしました。
1922年に始まった民立大学設立運動が頓挫したのは、総督府の妨害、京城帝大の設立もありますが、直接的には資金難です。同年秋の関東大震災における朝鮮人被害、23年湖南平野の旱害、25年平壌の洪水などへの募金活動が優先されたため、基金募集が進まなかった。
>梨花学校で米宣教師の協力を得て大学教育をしたが禁止(廃止?)されました、
ヤフー百科事典(東亜)で梨花学堂を調べましたが、そんな話出てなかったよ。
>大学は殖民地においての滞在日本人の教育と最小限に必要な朝鮮人人材の育成のため1920年設立された京城帝国大学のみで、学部は医学、文学、法学など、(これも典型的な植民地学科)だったと覚えています。
1926年に法文学部・医学部、41年に理工学部開設ですね。それより後にできた阪大(31年)や名大(39年)は開設当初、医学部、理工学部だけでした(文系学部は戦後増設)。理工学部より法文学部が優先されたのは、文を重んじる朝鮮側の強い要望によるものです。
>この大学に当てられた朝鮮人の入学率もとても低かったときいています。
京城帝国大学の朝鮮人比率は34%(日1,219、朝627。1929-42、卒業生計)。別に枠があったわけではなく、試験も平等でした。日本語力の差でしょう。ほかに、内地の大学に通う朝鮮人も多く、1942年に2788人。
なお、フランス植民地下のアルジェ大学の現地人比率は11%(1954年)。
>そしてその下のレベルの小中高校も移住日本人子女のためであって、朝鮮人のための学校には貧しい朝鮮人にはとても払えない月謝だったときいています。
実際「義務教育」だったのに通えない子も多かったのでは・・
義務教育じゃありませんでしたよ。
義務教育化は46年に計画されていたけれど、そのまえに光復が来ちゃった。就学率は、42年12月に学齢期の男子の75.5%、女子の33.1%、平均54.4%。月謝は払わなくてもいつまででも待ってくれたと、ある韓国人が書いてましたな。
光復後、韓国で初等学校の義務教育が行われたのは1959年でしたね。中学校の義務教育化(無償化)は去年(2002年)だったはずだけど、達成できたんでしょうか?
>それに朝鮮人の学校には例えば中学で、○○普通中学といった名称で、いくら利口な生徒が通う学校でも愚民化のため「普通」という名称をいれて日本人の学校と区別したそうです。
日本人用は「小学校」、朝鮮人用は「普通学校」でしたね。日本人と朝鮮人では日本語力が違うから、同じ学校で教育するのは無理だった。だから分けただけ。でも、38年には「小学校」に一本化され、41年には「国民学校」に改称された。差はなくなりました。
>学校というインフラは基本的に移住日本人や朝鮮総督部が使い走りとして最低に必要な人材の現地調達のためでした。
植民地教育の典型はインドです。現地官吏養成のための中高等教育を充実させた。そのかわり、初等教育は放置。これが「愚民教育」です。日本はその対極で、初中等教育を充実させた。
43年 小学校生徒数 218.7万人(うち朝鮮人208.9万人)
中学校生徒数 12.9万人(9万人)
専門学校・大学校 1.7万人(1.1万人)
1922年に始まった民立大学設立運動が頓挫したのは、総督府の妨害、京城帝大の設立もありますが、直接的には資金難です。同年秋の関東大震災における朝鮮人被害、23年湖南平野の旱害、25年平壌の洪水などへの募金活動が優先されたため、基金募集が進まなかった。
>梨花学校で米宣教師の協力を得て大学教育をしたが禁止(廃止?)されました、
ヤフー百科事典(東亜)で梨花学堂を調べましたが、そんな話出てなかったよ。
>大学は殖民地においての滞在日本人の教育と最小限に必要な朝鮮人人材の育成のため1920年設立された京城帝国大学のみで、学部は医学、文学、法学など、(これも典型的な植民地学科)だったと覚えています。
1926年に法文学部・医学部、41年に理工学部開設ですね。それより後にできた阪大(31年)や名大(39年)は開設当初、医学部、理工学部だけでした(文系学部は戦後増設)。理工学部より法文学部が優先されたのは、文を重んじる朝鮮側の強い要望によるものです。
>この大学に当てられた朝鮮人の入学率もとても低かったときいています。
京城帝国大学の朝鮮人比率は34%(日1,219、朝627。1929-42、卒業生計)。別に枠があったわけではなく、試験も平等でした。日本語力の差でしょう。ほかに、内地の大学に通う朝鮮人も多く、1942年に2788人。
なお、フランス植民地下のアルジェ大学の現地人比率は11%(1954年)。
>そしてその下のレベルの小中高校も移住日本人子女のためであって、朝鮮人のための学校には貧しい朝鮮人にはとても払えない月謝だったときいています。
実際「義務教育」だったのに通えない子も多かったのでは・・
義務教育じゃありませんでしたよ。
義務教育化は46年に計画されていたけれど、そのまえに光復が来ちゃった。就学率は、42年12月に学齢期の男子の75.5%、女子の33.1%、平均54.4%。月謝は払わなくてもいつまででも待ってくれたと、ある韓国人が書いてましたな。
光復後、韓国で初等学校の義務教育が行われたのは1959年でしたね。中学校の義務教育化(無償化)は去年(2002年)だったはずだけど、達成できたんでしょうか?
>それに朝鮮人の学校には例えば中学で、○○普通中学といった名称で、いくら利口な生徒が通う学校でも愚民化のため「普通」という名称をいれて日本人の学校と区別したそうです。
日本人用は「小学校」、朝鮮人用は「普通学校」でしたね。日本人と朝鮮人では日本語力が違うから、同じ学校で教育するのは無理だった。だから分けただけ。でも、38年には「小学校」に一本化され、41年には「国民学校」に改称された。差はなくなりました。
>学校というインフラは基本的に移住日本人や朝鮮総督部が使い走りとして最低に必要な人材の現地調達のためでした。
植民地教育の典型はインドです。現地官吏養成のための中高等教育を充実させた。そのかわり、初等教育は放置。これが「愚民教育」です。日本はその対極で、初中等教育を充実させた。
43年 小学校生徒数 218.7万人(うち朝鮮人208.9万人)
中学校生徒数 12.9万人(9万人)
専門学校・大学校 1.7万人(1.1万人)
これは メッセージ 2745 (angrykorean386 さん)への返信です.
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