余談をさせて頂きますと
投稿者: honkytonk_2002_x 投稿日時: 2005/08/04 01:24 投稿番号: [25420 / 49973]
うちは、前に別投稿で話したように、空襲の犠牲者はいないんです。
戦死者が一名と、母の双子の姉が戦後の栄養失調で死去したぐらいで。もう一人は、戦争とは別の理由で子供の頃に死去していますが。(もちろん、子沢山の祖母も、3人でも子は子。死ぬまで忘れられなかったようで。そりゃそうですよね。)
一度、気まずい思いをした事があります。
高校の頃、海軍の一種軍装の紺色の艦内帽をかぶって母の実家に遊びに行き、帽子をポイっと部屋に置いてたら、バアサン、「あら! ○○ちゃんが帰ってきたばい!」と、勘違いしてしまいました。(やや痴呆気味だった。)
あの時は、すまないことをしたと、後悔しました。(苦笑)
死んだオジキは、一式陸攻の操縦員で、「南西諸島方面にて戦死。佐世保海軍人事部長○○○○」とカンタンに戸籍謄本に書かれているだけで、詳しくは分かりません。
兵隊さん、と言いますか、むかしの日本人は優しかったようですね。強くて。
何かの折に、家の下を水兵さんたちが更新していて、オフクロが「バンザーイ」と叫んだら、まだ子供のような水兵さんが一人サッと走ってきて、「ハイ、これお食べ」とコンペイトウをくれたんだそうで。バアサン、何度も頭を下げて、お礼を言ったとか。
うちの母の実家は、日露戦争のH中佐の生まれた地なんですが、大東亜戦争中に、中佐の銅像が原材料として接収される際に、海軍がトラックで取りに来て、整列して銅像に敬礼して、持っていったんだそうです。
そんなオフクロも、けっこう左寄りですけどね。(笑)
ソ満国境でミグ(またはヤク?)を追い払ったり、Bサンやグラマンと戦っていたオジキは、モロに共産主義者になってしまいますた。(笑)
そのくせ、「戦時中にはたしかに従六位だったのが、なぜか戦後ン十年で、正八位になっていたのは解せん」と。分からん…。(笑)
どうしてなんでしょうね、むかしの日本人は「優しかった」というのは。
では、なぜ今は「優しく」ないのかな。(ワタシも含めて。)
やはり、利己的になってしまったのかな。
これは メッセージ 25415 (licky_eto さん)への返信です.
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