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朝鮮人戦犯の遺書

投稿者: satoshis04 投稿日時: 2004/11/21 17:11 投稿番号: [15774 / 49973]
  私は1943年6月頃、泰緬線トンチャンという所において英軍捕虜二百五十名を管理しておりました。終戦後、この捕虜の取り扱いに関し(患者捕虜作業提出の件、食糧不足の件、衛生設備不完全の件、一名病死の責任を問われ)戦争法規違反者として起訴され、シンガポール英軍軍事法廷において1946年7月23日死刑の宣告を受けました。私の死に対して皆様悲しく思わないでください。私が愚かなために皆様を心配させました。私は皆様の幸福を祈って気持ちよく昇天し、再び現実界に生まれ変わって常に皆様の側におります。執行を受ける前夜、私は兄嫁様が赤い上衣に黄の下衣を着ておられる夢を見ました。二世として生まれ変わってこの怨みを報いることが出来るのを喜んでいます。(略)皆様の幸福を祈りつつ、東洋平和の犠牲として潔く散っていきます。(千光麟・ソウル出身   1947年シンガポールにて刑死)

  私は1943年より1945年までマレー捕虜収容所職員として、スマトラ、バンガランバイ等に勤務していましたが、終戦後、この間の捕虜の取り扱いに関し戦争法規違反として起訴せられ、1946年9月5日死刑を宣告せられました。何事も運命と思い諦めてください。(略)正義、平和、親愛、望、永遠に忘れるべからず。(張水業・平安南道出身   1946年シンガポールにて刑死)

  私は1942年より1945年まで泰捕虜収容所に勤務しておりました。終戦後捕虜の取り扱いに関し戦争法規違反として起訴され、1946年8月22日死刑を宣告せられました。何事も運命と思い諦めてください。本当に長い間お世話になりました。只只皆様の幸福を祈っております。
  永遠の東洋再起は東洋人の手に。   肉体は死去するとも霊魂は不滅なり。非命二十七青春(姜泰協・忠清南道出身   1946年シンガポールにて刑死)

  阿部(中尉)さん、いろいろありがとう。満ち足りた気持ちで行きます。ガチャンとともに開けるであろう豁然としたものを信じて私は行くのです。
  (若松大尉へ)しょげたら駄目だよ。待ってます。元気でついてきてください。あまり大したもんじゃないですよ。体は腐っても必ず魂魄は!何とか有り続けます。故国日本、朝鮮の繁栄を祈りつつ行ったと言ってやってください。
(手記)「朝鮮の歌はいいね」と小見曹長。趙文相しゃべり出す。「いや民族性のせいでね。すべてこの哀調があるんでしょう。愛国歌がありますが、これもやはり哀調が主なものになっていますね。」
「それだけロマンチックですね。」
「いや、ロマンチックと言うには余りに悲哀が強くってね。」
  金のアリランがはじまる。惻惻とした哀調が皆の胸をつく。(略)朝鮮人四名が愛国歌を歌ってからしばらくの間追憶談、お得意の歌等と時は容赦なく流れる。「おい、何時だ。」
「えー、十五分前です。」と田中さんが懐中時計をのぞく。(略)ほとんど七時になったとき、白人の兵隊たちがやってきた。「じゃ海行かばと国家を奉唱しましょう」と皆は端座瞑目して激しき感動をかみしめつつ海行かばを歌う。ともすればにじみ出そうな物は決して悲しみではない。悔恨でもない。あの大嵐に命を晒してきた者のみの知るあの感激だ。
「あの世ではまさか朝鮮人とか日本人とかという区別は無いでしょうね」と金の詠嘆声。浮き世のはかなき時間に何故相反し、相憎まねばならないのであろう。日本人も朝鮮人もないもんだ。皆東洋人じゃないか。いや西洋人だって同じだ。ああ、明日は朗らかに行こう。監房の中から残る人たちの歌う「蛍の光」が聞こえてくる。(趙文相・開城出身   1947年シンガポールにて刑死)

  注)日韓翻訳便宜のため一部簡略
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