布施辰治先生
投稿者: pyeongyang_kim 投稿日時: 2004/11/21 10:41 投稿番号: [15726 / 49973]
新潟地震が日本でこの間に発生しました.
まず,私は日本人被害者皆さんに心より残念の表現を個人的に
したいです.
日本で新潟地震が発生した時韓国の独立運動有功者のお子さんの
何人が明洞で募金活動を韓日がありました.
これらが日本人新潟地震被害者のために募金行動をした理由中の
一つが下の日本人弁護士を模範としようと言うツィジエソだったと言います.
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最近になってうちの社会で '日本人シンドラー'が新しく照明されている. 日帝時代に幾多の韓国人たちを助けた日本人弁護士後世使い果たすの(布施辰治.1880-1953)先生だ.
去年ソウル NGO(非政府組職)大会で '歴史教訓実践ボムシミンウンドング' 代表ジョン・ジュンヨン(鄭〓泳)さんが後世弁護士舷窓(顯彰)運動を始めた. その消息を東亜日報が去年 10月15日付けで '日帝時代日本人シンドラーいた'と言う題目で報道した. 今年 3.1節を一日控えて 2月29日には MBCが PD手帳で '発掘, 日本人シンドラー後世使い果たすの'という題目で大きく扱った. そして今度 11月13日には国会で '後世先生記念国際学術大会'が開かれた. 韓国と日本の学者たちが参加して後世弁護士の思想と行績, その勇気と信念におかず一生を再照明した.
後世はだれか. 彼は 1880年日本宮城(宮城)現で農夫の息子に生まれた. 明治(明治)法律学校を卒業して検事代理を経って弁護士になった. 1953年世を去るテがだ常に弱者と差別受ける者の便に止まって人権とデモクラシーを守ろうと労力した. 彼は特に日本の搾取と差別を受けた朝鮮人と台湾人のために命をかけて弁論した.
彼は日本が朝鮮を飲み下した翌年の 1911年に '朝鮮の独立運動に敬意を表する'と言う文で日本検察の徹夜調査を受けた. 1919年 3.1運動の時は朝鮮独立宣言に参加した在日留学生弾圧事件を調査して日本政府に抗議した. 1923年関東大地震の時はデマを言いふらして朝鮮人たちを虐殺した日本軍戒厳司令部と警察を責めた. その頃日本天皇とその息子を殺害しようと思ったという疑い(日本政府の操作説もある)で裁判を受けたアナーキスト朴烈のために弁論した. 抗日独立運動団体義烈団関連事件の弁護も引き受けた. 特に日製が東洋拓殖会社を立てて朝鮮の農地を収奪した時後世弁護士は全羅道羅州農民たちの農地返還訴訟を出して農民たちと一緒に争った. 1925年の東亜日報と朝鮮日報にはその消息が詳しく記録されている.
当時に朝鮮人たちは後世弁護士を恩人と同時に英雄と思った. しかし日本政府は彼を大変不満でした. それで後世は二度も監獄へ行って三回や弁護士資格を縛打にあった.
うちの社会が遅ばせながら後世弁護士を再照明することは幸いだ. 日本のミリタリズムと殖民統治に対しては確かに清算してまた憶えなければならない. しかしその時代を暮した日本人皆が悪いことをしたのではない. 後世弁護士みたいな人もいた.
後世弁護士の長女が 90歳を越したが日本で丈夫に住んでいる. その長女を通じて後世弁護士に対する韓国人たちの感謝の心を伝えた方が良いと思う. それが成熟した姿勢だ. 10月23日日本駐在韓国大使館に対する国政監査で私はそのように提言したしチェ・サンリョン(崔相竜)せりふも同意してくれた. 私は 13日の国際学術大会でも来賓祝辞を通じてそんな意思を表明した.
http://www.nylee.or.kr/NY_News/NY_Idea/Content.asp?Idx=35&page=2&tname=BoardCateImgFile&cate=lnycolumn
まず,私は日本人被害者皆さんに心より残念の表現を個人的に
したいです.
日本で新潟地震が発生した時韓国の独立運動有功者のお子さんの
何人が明洞で募金活動を韓日がありました.
これらが日本人新潟地震被害者のために募金行動をした理由中の
一つが下の日本人弁護士を模範としようと言うツィジエソだったと言います.
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最近になってうちの社会で '日本人シンドラー'が新しく照明されている. 日帝時代に幾多の韓国人たちを助けた日本人弁護士後世使い果たすの(布施辰治.1880-1953)先生だ.
去年ソウル NGO(非政府組職)大会で '歴史教訓実践ボムシミンウンドング' 代表ジョン・ジュンヨン(鄭〓泳)さんが後世弁護士舷窓(顯彰)運動を始めた. その消息を東亜日報が去年 10月15日付けで '日帝時代日本人シンドラーいた'と言う題目で報道した. 今年 3.1節を一日控えて 2月29日には MBCが PD手帳で '発掘, 日本人シンドラー後世使い果たすの'という題目で大きく扱った. そして今度 11月13日には国会で '後世先生記念国際学術大会'が開かれた. 韓国と日本の学者たちが参加して後世弁護士の思想と行績, その勇気と信念におかず一生を再照明した.
後世はだれか. 彼は 1880年日本宮城(宮城)現で農夫の息子に生まれた. 明治(明治)法律学校を卒業して検事代理を経って弁護士になった. 1953年世を去るテがだ常に弱者と差別受ける者の便に止まって人権とデモクラシーを守ろうと労力した. 彼は特に日本の搾取と差別を受けた朝鮮人と台湾人のために命をかけて弁論した.
彼は日本が朝鮮を飲み下した翌年の 1911年に '朝鮮の独立運動に敬意を表する'と言う文で日本検察の徹夜調査を受けた. 1919年 3.1運動の時は朝鮮独立宣言に参加した在日留学生弾圧事件を調査して日本政府に抗議した. 1923年関東大地震の時はデマを言いふらして朝鮮人たちを虐殺した日本軍戒厳司令部と警察を責めた. その頃日本天皇とその息子を殺害しようと思ったという疑い(日本政府の操作説もある)で裁判を受けたアナーキスト朴烈のために弁論した. 抗日独立運動団体義烈団関連事件の弁護も引き受けた. 特に日製が東洋拓殖会社を立てて朝鮮の農地を収奪した時後世弁護士は全羅道羅州農民たちの農地返還訴訟を出して農民たちと一緒に争った. 1925年の東亜日報と朝鮮日報にはその消息が詳しく記録されている.
当時に朝鮮人たちは後世弁護士を恩人と同時に英雄と思った. しかし日本政府は彼を大変不満でした. それで後世は二度も監獄へ行って三回や弁護士資格を縛打にあった.
うちの社会が遅ばせながら後世弁護士を再照明することは幸いだ. 日本のミリタリズムと殖民統治に対しては確かに清算してまた憶えなければならない. しかしその時代を暮した日本人皆が悪いことをしたのではない. 後世弁護士みたいな人もいた.
後世弁護士の長女が 90歳を越したが日本で丈夫に住んでいる. その長女を通じて後世弁護士に対する韓国人たちの感謝の心を伝えた方が良いと思う. それが成熟した姿勢だ. 10月23日日本駐在韓国大使館に対する国政監査で私はそのように提言したしチェ・サンリョン(崔相竜)せりふも同意してくれた. 私は 13日の国際学術大会でも来賓祝辞を通じてそんな意思を表明した.
http://www.nylee.or.kr/NY_News/NY_Idea/Content.asp?Idx=35&page=2&tname=BoardCateImgFile&cate=lnycolumn
これは メッセージ 1 (korea_is_mini_japan さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1835396/4z9q7zbbkoc0a2ab4z9qbfma4nbb22ca1a2bg4bf7de_1/15726.html