Re: 東京裁判とはですね① Re: やはり合わ
投稿者: parkavenuecanada 投稿日時: 2008/03/25 03:21 投稿番号: [97719 / 99628]
>「平和に対する罪」ってなんですか一体
前に引用して説明済みです。繰り返せば、
「平和に対する罪」が1から36まであり、侵略戦争の共同謀議、計画準備、開始、遂行に分かれている 『戦争責任戦後責任』粟屋憲太郎他著者多数
>戦中の宣伝の賜物と言うご理解は、私は正しくないと思います
私は完璧に正しいと思います。それを裏付けるのは、まさにチロノカイヌシさんの以下の発言です。
>陛下は逃亡も自殺もせず、先頭に立って国民を秩序立てて占領下へ導き、戦後復興を成し遂げた
史実の検証は留保して、なぜそういう振る舞いが可能だったのかを考えればおのずと答えは明らかです。以前には、昭和天皇が敗戦後の国民を勇気づけたとか書かれてました。仮にそういう精神的影響を日本国民にいくらか与えたとしましょう。ではなぜ昭和天皇にそれが可能だったのか?
天皇教の呪縛から解放されないヒダリノさんを不憫に思い、その更生を願って前に引用した四方田犬彦の文章ですが、ここでも有効なので、再び貼ります。昭和天皇が主人公の映画
『太陽』で語られているのは、あらゆる脱神話化を施された個人をめぐる考察である。なるほどそれは日本敗戦当時の、あるいは現在にいたるまでの日本人にとって窺い知ることの適わないものであり、その意味で神話破壊の意義は確かに認められる 雑誌『世界』2006年9月号
重要なのは、「日本敗戦当時の」「日本人にとって窺い知ることの適わないもの」という指摘です。つまり当時、日本国民はかれの「脱神話化」に達していなかった、とそういうことです。(日本人すべてではないけど)
「戦中の宣伝の賜物」というより、大日本帝国発足以来1世紀近くに渡る教育成果ですね。
もうひとつ長くなりますが引用します。
昭和20年3月18日、当時26歳の堀田善衛は、朝早く洗足の家を出て、深川へ向かった。去る3月10日未明の本所、深川の大空襲で知り合いの女性の安否が気になったからである 〜(中略)〜 焼け跡は整理され、憲兵や高位の警官や高級官僚らしい人の姿も増えた 〜(中略)〜 朝日を浴びてピカピカ光る車から、磨きたてられた長靴をはいた天皇が下りてきた 〜(中略)〜 道路の真中を歩いている天皇の、沿道のしめった灰の上に、相当な数の天皇や、お付きの高級役人の服装とは、およそ正反対のボロボロの服装をした庶民たちが土下座していた。この光景をみて堀田は、こう書いている。
「これらの人々は本当に土下座をして、涙を流しながら、陛下、私たちの努力がたりませんので、むざむざ焼いてしまいました。まことに申し訳ない次第であります、といったことを、口々に小声に呟いていたのだ。責任は原因をつくったほうにはなくて、結果を、つまりは焼かれてしまい、身内の多くを殺されてしまったほうにあることになる! ただの一夜の空襲で10万人を越える死傷者を出しながら、それでいてなお生きることのほうを考えないで、死のほうへのみ傾いていこうとすることは、これはいったいどういうことなのか? 死のために生きているのではない。なぜいったい、死が生の中軸でなければならないようなふうに政治は事を運ぶのか? (堀田善衛『方丈記私記』)
〜中略〜 この文章を引用したのは、この堀田の一文は戦中報道の本質を、ズバリと一言で表現しているからである。
戦中の日本の報道は、戦災や敗戦の責任を「原因をつくったほうにはなくて、身内を殺されたり家を焼かれた者の方」にあるとして、加害者のために「死ぬことばかりを考え、死へのみ傾いてく」ことを報道することが、基礎的な編集方針となっていた 『天皇とマスコミ』松浦総三
堀田が驚いたこの倒錯感情を、大日本帝国は国民の「心」や「魂」に強要し、戦時中など報道もそれに加担した、というわけですね。堀田のような文学者(非庶民)なら事態もいくらか見抜けようが、大衆には難しいかもしれない。そういう全体主義国家の残滓が、四方田のいうように「脱神話化」されない民衆の中にあった、というわけです。
前に引用して説明済みです。繰り返せば、
「平和に対する罪」が1から36まであり、侵略戦争の共同謀議、計画準備、開始、遂行に分かれている 『戦争責任戦後責任』粟屋憲太郎他著者多数
>戦中の宣伝の賜物と言うご理解は、私は正しくないと思います
私は完璧に正しいと思います。それを裏付けるのは、まさにチロノカイヌシさんの以下の発言です。
>陛下は逃亡も自殺もせず、先頭に立って国民を秩序立てて占領下へ導き、戦後復興を成し遂げた
史実の検証は留保して、なぜそういう振る舞いが可能だったのかを考えればおのずと答えは明らかです。以前には、昭和天皇が敗戦後の国民を勇気づけたとか書かれてました。仮にそういう精神的影響を日本国民にいくらか与えたとしましょう。ではなぜ昭和天皇にそれが可能だったのか?
天皇教の呪縛から解放されないヒダリノさんを不憫に思い、その更生を願って前に引用した四方田犬彦の文章ですが、ここでも有効なので、再び貼ります。昭和天皇が主人公の映画
『太陽』で語られているのは、あらゆる脱神話化を施された個人をめぐる考察である。なるほどそれは日本敗戦当時の、あるいは現在にいたるまでの日本人にとって窺い知ることの適わないものであり、その意味で神話破壊の意義は確かに認められる 雑誌『世界』2006年9月号
重要なのは、「日本敗戦当時の」「日本人にとって窺い知ることの適わないもの」という指摘です。つまり当時、日本国民はかれの「脱神話化」に達していなかった、とそういうことです。(日本人すべてではないけど)
「戦中の宣伝の賜物」というより、大日本帝国発足以来1世紀近くに渡る教育成果ですね。
もうひとつ長くなりますが引用します。
昭和20年3月18日、当時26歳の堀田善衛は、朝早く洗足の家を出て、深川へ向かった。去る3月10日未明の本所、深川の大空襲で知り合いの女性の安否が気になったからである 〜(中略)〜 焼け跡は整理され、憲兵や高位の警官や高級官僚らしい人の姿も増えた 〜(中略)〜 朝日を浴びてピカピカ光る車から、磨きたてられた長靴をはいた天皇が下りてきた 〜(中略)〜 道路の真中を歩いている天皇の、沿道のしめった灰の上に、相当な数の天皇や、お付きの高級役人の服装とは、およそ正反対のボロボロの服装をした庶民たちが土下座していた。この光景をみて堀田は、こう書いている。
「これらの人々は本当に土下座をして、涙を流しながら、陛下、私たちの努力がたりませんので、むざむざ焼いてしまいました。まことに申し訳ない次第であります、といったことを、口々に小声に呟いていたのだ。責任は原因をつくったほうにはなくて、結果を、つまりは焼かれてしまい、身内の多くを殺されてしまったほうにあることになる! ただの一夜の空襲で10万人を越える死傷者を出しながら、それでいてなお生きることのほうを考えないで、死のほうへのみ傾いていこうとすることは、これはいったいどういうことなのか? 死のために生きているのではない。なぜいったい、死が生の中軸でなければならないようなふうに政治は事を運ぶのか? (堀田善衛『方丈記私記』)
〜中略〜 この文章を引用したのは、この堀田の一文は戦中報道の本質を、ズバリと一言で表現しているからである。
戦中の日本の報道は、戦災や敗戦の責任を「原因をつくったほうにはなくて、身内を殺されたり家を焼かれた者の方」にあるとして、加害者のために「死ぬことばかりを考え、死へのみ傾いてく」ことを報道することが、基礎的な編集方針となっていた 『天皇とマスコミ』松浦総三
堀田が驚いたこの倒錯感情を、大日本帝国は国民の「心」や「魂」に強要し、戦時中など報道もそれに加担した、というわけですね。堀田のような文学者(非庶民)なら事態もいくらか見抜けようが、大衆には難しいかもしれない。そういう全体主義国家の残滓が、四方田のいうように「脱神話化」されない民衆の中にあった、というわけです。
これは メッセージ 97716 (chironokainushi さん)への返信です.
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