やはり合わないかな?① Re: 意見が少し
投稿者: parkavenuecanada 投稿日時: 2008/03/21 17:27 投稿番号: [97695 / 99628]
>これは乱暴に過ぎるでしょう。暴論といってもいい
そうは思いません。
「つくる会」には、皇国史観的な正史(=権力が編んだ歴史)を推奨して、日本の子供に自国への「誇り」を植え付けようとする政治的目的があります。朴裕河の言葉も示すように、それには「誇れない」歴史の忘却抹消歪曲を伴います。そういう歪な、自己の正当化に終始する教育は、昔私が糞味噌に書いたように、自己愛だけが肥大化した、自分だけが立派で尊く偉大だとする、怖ろしく傲岸不遜な「日本人」を生産します。それは、必然的に諸外国人への蔑視差別感情を伴います。(中年近い大人のはずが、「日本人は優れ、他民族は劣る」と平然と書いて恥じるところのないヒダリノさんなど、そうして機械的に生産された標本です)
よく知りませんが、北朝鮮だって自民族の優越性を説いたりします。韓国教育の内実も自己愛過剰なようです。中国だって中共の輝かしい正史を注入するわけでしょう。
根は同じなんです。
>君主制が全体主義に結びつくと簡単に書かれるが
これは誤解です。
本来自由な国民の「心」「魂」を暴力的に(教育の果てに)天皇へと求心させようとする動きは「全体主義に結びつく」といったのです。
>中国と英国はどちらが全体主義的ですか?
立憲君主制でも民主国家は多いといわれます。事実そうだと思います。しかし、それは「君主」が形骸化して、政治権力を剥奪停止され、有名無実の状況にあるからです。つまり、君主制とは本来君主が主権者ですが、現実に今の民主国家に存続する「君主」には主権なんてほぼないわけです。
民主主義とは「デモクラシー」の訳語ですが、古代ギリシア語の「デモクラティア」を語源とします。「デモ」は民を意味し、「クラティア」は権利だとかそういった感じの意味だったと思います。
つまり、民主主義とは民が主権者である以上、そこに君主的な君主の居場所など認められないということです。だから民主的な国々はどこでも、立憲君主の君主など形式だけで「飾り」程度の存在なのでしょう。そんな役立たずで不必要で、ときには有害ですらある「無用の長物」を、なにも我々の血税で養う道理などなく、そんな無駄金使うなら、この深刻な格差社会の中で苦しむ高齢者の一人でも救いなさい、というきわめて正当なことを私は主張しているのです。
>某国が国家戦略として日本を牽制するための論法として「大日本帝国」を持ち出す以上、日本としても国家としての権利を守るためそれに対抗する論法が必要になってきてしまう
となると、「つくる会」は「国家としての権利を守るためそれに対抗する論法」としての歴史観だとなります。そんな露骨な政治イデオロギーを公教育の場で推進してよいのですか? それこそ全体主義国家の振る舞いと完全に同じです。
チロノカイヌシさんもそうだと思いますが、ここの諸君は日教組が戦後左翼イデオロギーを生徒に吹き込んだといって批判されます。じゃ、なんですか? それが右翼イデオロギーなら良いとなるわけですか! (教育とは、本質的にイデオロギー注入だといった議論はひとまず無視します)
>「国」と「町」を無邪気に切り離す根拠が分からないですね。たしかに「町」と書いたほうが実感がわく。「国」と思うにはひとつ思考が必要なのが事実です。ただそれを結びつけるのが教育ですよ
たいへん含蓄ある発言です。
「切り離す根拠」は、まさにその「実感」差です。言い換えれば、人間としての切実な感情が行き渡る領域差です。それと、「国」と「町」は場合によっては対立します。その巨大な実例が米軍基地問題での「沖縄」と「国」です。
>「国」と思うにはひとつ思考が必要なのが事実です
その「思考」の在り方が問われているんだと思います。
そうは思いません。
「つくる会」には、皇国史観的な正史(=権力が編んだ歴史)を推奨して、日本の子供に自国への「誇り」を植え付けようとする政治的目的があります。朴裕河の言葉も示すように、それには「誇れない」歴史の忘却抹消歪曲を伴います。そういう歪な、自己の正当化に終始する教育は、昔私が糞味噌に書いたように、自己愛だけが肥大化した、自分だけが立派で尊く偉大だとする、怖ろしく傲岸不遜な「日本人」を生産します。それは、必然的に諸外国人への蔑視差別感情を伴います。(中年近い大人のはずが、「日本人は優れ、他民族は劣る」と平然と書いて恥じるところのないヒダリノさんなど、そうして機械的に生産された標本です)
よく知りませんが、北朝鮮だって自民族の優越性を説いたりします。韓国教育の内実も自己愛過剰なようです。中国だって中共の輝かしい正史を注入するわけでしょう。
根は同じなんです。
>君主制が全体主義に結びつくと簡単に書かれるが
これは誤解です。
本来自由な国民の「心」「魂」を暴力的に(教育の果てに)天皇へと求心させようとする動きは「全体主義に結びつく」といったのです。
>中国と英国はどちらが全体主義的ですか?
立憲君主制でも民主国家は多いといわれます。事実そうだと思います。しかし、それは「君主」が形骸化して、政治権力を剥奪停止され、有名無実の状況にあるからです。つまり、君主制とは本来君主が主権者ですが、現実に今の民主国家に存続する「君主」には主権なんてほぼないわけです。
民主主義とは「デモクラシー」の訳語ですが、古代ギリシア語の「デモクラティア」を語源とします。「デモ」は民を意味し、「クラティア」は権利だとかそういった感じの意味だったと思います。
つまり、民主主義とは民が主権者である以上、そこに君主的な君主の居場所など認められないということです。だから民主的な国々はどこでも、立憲君主の君主など形式だけで「飾り」程度の存在なのでしょう。そんな役立たずで不必要で、ときには有害ですらある「無用の長物」を、なにも我々の血税で養う道理などなく、そんな無駄金使うなら、この深刻な格差社会の中で苦しむ高齢者の一人でも救いなさい、というきわめて正当なことを私は主張しているのです。
>某国が国家戦略として日本を牽制するための論法として「大日本帝国」を持ち出す以上、日本としても国家としての権利を守るためそれに対抗する論法が必要になってきてしまう
となると、「つくる会」は「国家としての権利を守るためそれに対抗する論法」としての歴史観だとなります。そんな露骨な政治イデオロギーを公教育の場で推進してよいのですか? それこそ全体主義国家の振る舞いと完全に同じです。
チロノカイヌシさんもそうだと思いますが、ここの諸君は日教組が戦後左翼イデオロギーを生徒に吹き込んだといって批判されます。じゃ、なんですか? それが右翼イデオロギーなら良いとなるわけですか! (教育とは、本質的にイデオロギー注入だといった議論はひとまず無視します)
>「国」と「町」を無邪気に切り離す根拠が分からないですね。たしかに「町」と書いたほうが実感がわく。「国」と思うにはひとつ思考が必要なのが事実です。ただそれを結びつけるのが教育ですよ
たいへん含蓄ある発言です。
「切り離す根拠」は、まさにその「実感」差です。言い換えれば、人間としての切実な感情が行き渡る領域差です。それと、「国」と「町」は場合によっては対立します。その巨大な実例が米軍基地問題での「沖縄」と「国」です。
>「国」と思うにはひとつ思考が必要なのが事実です
その「思考」の在り方が問われているんだと思います。
これは メッセージ 97693 (chironokainushi さん)への返信です.
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