意見が少しは合うかも Re: 日本「マンセー
投稿者: parkavenuecanada 投稿日時: 2008/03/21 01:26 投稿番号: [97689 / 99628]
>『つくる会』でもここまで志向してるとは思えません。安倍首相の教育改革だってこんなことを志向していない
ま、程度の差ですね。根(根源的な思想)は似たようなもんです。
>私はその言いがかりが『つくる会』のような言論を喚起したと思ってます
この認識はいくらか正しいと思います。「程度の差」と軽く書きましたが、そこが以外に見落とせないのも承知です。でもやはり根本は同じだから批判していこうという姿勢です。
>ナチスへのレジスタンスの抵抗は悪ですか。米国の侵攻に抵抗したイラクは悪の戦争をしたでしょうか。べトコンは悪でしょうか
この辺は、私と同じ考えのようです。そうですね、正義の戦争はないが、片方に正義が認められる場合ならあるかもしれません。
>現在の外国派兵に志願することはなくても、外国が攻めてきて私の住む町が危なければ進んで武器を取るでしょう
これは理解できます。
そうなんです。チロノカイヌシさんは、外国が攻めてきて「私の国」が危なければ、と書かず、「私の住む町」が危なければ、と書かれました。そこにあるのは、郷土愛(自分が生活する場所への愛)、そこで共同生活する家族への愛、自分が日常接する隣人への愛、それらの危機を動機に武器を取らせるわけです。私は、それは人間の自然な感情行動のひとつだと思います。
しかし過去でも現在でも「帝国」が始めた戦争とは、嘘(大義)を口実に、そういう人々の自然な感情を「危機」的なものへと誘い、巧妙に殺す側へと加担させていくわけです。
鬼畜米英を叩き込み、「玉砕」の思想を鼓舞する、その結果が例えば昨今話題の沖縄戦にみられる、日本軍による日本人への強制死という悲惨な結果をもたらすわけです。
そして、曾野綾子のような右派系作家が、国家の犯罪性には気づかずか、その右「思想」ゆえなのか、たんにバカなのか、沖縄の民間戦死者に向かって戦争推進国家イデオロギーに寄る立場から発言するのを、大江健三郎は短くこう諫めます。
《私が不思議に思うのは、そうして国に殉じるという美しい心で死んだ人たちのことを、何故、戦後になって、あれは命令で強制されたものだ、というような言い方をして、その死の清らかさを自らおとしめてしまうのか。私にはそのことが理解できません》
このように言う者らこそ、人間をおとしめていると信じます。
雑誌『すばる』2008年2月号 (注・《》内が曾野の発言)
チロノカイヌシさんも指摘なさるように、武器を取って戦う真の人間的動機が、愛する人を守るためであるなら、国家が都合よく一方的に吹き込んだイデオロギーのせいで、その愛する人を手にかけてしまった事実は、決っして曾野のいうような「国に殉じるという美しい」ふるまいではありえず、それは徹底して被害者的な非業の死でしかないわけです。なぜなら、愛する人を結局守れず、みずから殺してしまったわけですから、それはもう悲惨の極致です。
愛する人を守るはずの戦いが愛する人をみずから殺した事実、そうさせた側の責任を度外視して、「国に殉じるという美しい心」だの「死の清らかさ」だのを説く、修羅場と化した現場への想像力を欠いた右派系人間に、小説家を名乗る資格などありません。
ところで、不発弾なども多々あったようで、幸い生き残った人たちもいます。いったいどちらが幸せだったか、火を見るより明らかです。
>現実には「主権者たる国民による国家の運営」は幻想に過ぎないのではありますまいか
市民が賢くなればよいのです。
ま、程度の差ですね。根(根源的な思想)は似たようなもんです。
>私はその言いがかりが『つくる会』のような言論を喚起したと思ってます
この認識はいくらか正しいと思います。「程度の差」と軽く書きましたが、そこが以外に見落とせないのも承知です。でもやはり根本は同じだから批判していこうという姿勢です。
>ナチスへのレジスタンスの抵抗は悪ですか。米国の侵攻に抵抗したイラクは悪の戦争をしたでしょうか。べトコンは悪でしょうか
この辺は、私と同じ考えのようです。そうですね、正義の戦争はないが、片方に正義が認められる場合ならあるかもしれません。
>現在の外国派兵に志願することはなくても、外国が攻めてきて私の住む町が危なければ進んで武器を取るでしょう
これは理解できます。
そうなんです。チロノカイヌシさんは、外国が攻めてきて「私の国」が危なければ、と書かず、「私の住む町」が危なければ、と書かれました。そこにあるのは、郷土愛(自分が生活する場所への愛)、そこで共同生活する家族への愛、自分が日常接する隣人への愛、それらの危機を動機に武器を取らせるわけです。私は、それは人間の自然な感情行動のひとつだと思います。
しかし過去でも現在でも「帝国」が始めた戦争とは、嘘(大義)を口実に、そういう人々の自然な感情を「危機」的なものへと誘い、巧妙に殺す側へと加担させていくわけです。
鬼畜米英を叩き込み、「玉砕」の思想を鼓舞する、その結果が例えば昨今話題の沖縄戦にみられる、日本軍による日本人への強制死という悲惨な結果をもたらすわけです。
そして、曾野綾子のような右派系作家が、国家の犯罪性には気づかずか、その右「思想」ゆえなのか、たんにバカなのか、沖縄の民間戦死者に向かって戦争推進国家イデオロギーに寄る立場から発言するのを、大江健三郎は短くこう諫めます。
《私が不思議に思うのは、そうして国に殉じるという美しい心で死んだ人たちのことを、何故、戦後になって、あれは命令で強制されたものだ、というような言い方をして、その死の清らかさを自らおとしめてしまうのか。私にはそのことが理解できません》
このように言う者らこそ、人間をおとしめていると信じます。
雑誌『すばる』2008年2月号 (注・《》内が曾野の発言)
チロノカイヌシさんも指摘なさるように、武器を取って戦う真の人間的動機が、愛する人を守るためであるなら、国家が都合よく一方的に吹き込んだイデオロギーのせいで、その愛する人を手にかけてしまった事実は、決っして曾野のいうような「国に殉じるという美しい」ふるまいではありえず、それは徹底して被害者的な非業の死でしかないわけです。なぜなら、愛する人を結局守れず、みずから殺してしまったわけですから、それはもう悲惨の極致です。
愛する人を守るはずの戦いが愛する人をみずから殺した事実、そうさせた側の責任を度外視して、「国に殉じるという美しい心」だの「死の清らかさ」だのを説く、修羅場と化した現場への想像力を欠いた右派系人間に、小説家を名乗る資格などありません。
ところで、不発弾なども多々あったようで、幸い生き残った人たちもいます。いったいどちらが幸せだったか、火を見るより明らかです。
>現実には「主権者たる国民による国家の運営」は幻想に過ぎないのではありますまいか
市民が賢くなればよいのです。
これは メッセージ 97679 (chironokainushi さん)への返信です.
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