Re: ここの諸君に批判的ですね!②A Re:
投稿者: parkavenuecanada 投稿日時: 2008/03/18 22:26 投稿番号: [97668 / 99628]
>指摘が的外れなんだろ。長崎生まれ故に判断材料を持っていたから「不公正に気づいた」ってこと
どう「的外れ」なんですか?
仮に今私が「不公正」だったとします。その「不公正」論を展開するにあたり、「長崎生まれ故に」「持っていた」「判断材料」など微塵も活躍しておりません。アイタタタタさんは(変換が面倒なのでカタカナ表記にします)、ただ私のテキストを「検証」した結果「論理的」結論として「不公正」を導いただけです。それは、長崎生まれでも、東京でも京都でもフランスの片田舎でも、日本語読解能力さえあれば誰でも可能です。
最初は、私の凡庸な日本指導部の日本人被害に対する責任論それ自体に異議を唱えて怒ってるのだ、と思いましたが、そうではなく「不公正」が問題だ、それが長崎生まれの「血液を沸騰」させたとおっしゃります。しかし、上に述べたように、それは実際の議論経緯から考えられません。長崎出身という「特権」性(これは私なりの表現です)と「不公正」論は、どこにも交差交通の契機が見出せないわけです。
>ありふれてるから不公正性なんか無視しちゃえという開き直り
いいえ、違います。ここでアイタタタタさんは未読(の可能性大)の、議論の流れを見てみましょう。
きっかけは ananoujp さんという方の、
>過去を語るときに現代の価値観で語ってはいけないと思います
という「新しい歴史教科書をつくる会」のコピー言説でした。それに対して、私は、
《どうやったら「現代の価値観」で語ることを回避できるのでしょうか?》
と問い返します。すると(最近状況がまずいせいか、静かですが)出しゃばりのヒダリノさんが、
>「魂」を感じるんです。日本歴史に流れる熱い魂を感じるんですよ
>俗に言うところの自虐史観では、抜け落ちている視点が「魂」なのです。
>現在の価値観で「他民族を支配することはいけない」と今は認識されているでしょう。しかし1900年当時、それを回避してなおかつ自分たちの安全を保つ手段が他にあったでしょうか?
>700年代、台風や地震から民の安全を守る手段として「神仏にすがる」意外の手段が考えられたでしょうか?
と他人の議論に割って入ってきたわけです。それに私が、
《哲学的には、それはもちろん不可能なわけですね。「魂」の感じ方、それ自体が、本人は「現代の価値観」を捨て去ったつもりでも、じつは「現代の価値観」に裏打ちされているからです》
とポストモダン思想上の常識を展開し、さらにヒダリノさんの論点を、
《日本がアジアに侵略したり植民地支配しなければ、逆にやられてた、これは自衛戦争、つまり正義の戦争だった、今では批判されるが当時はどうしようもなかったのだ、日本の指導者が日本人と国土の安全のためにしたことなんだ、だから責任を今問うのは理不尽だ、と、hidarino5 さんは主張されたいのだと》
と解釈し、ようするにヒダリノさんの日本指導部無罪論(=自己愛史観)に対する反論として、
《これは、要するに、戦争責任論にも関連しての問いかけでしょうが、まず、「アジアに対する責任」と「日本人に対する責任」、これらを分けて考えるのが妥当ですね》
と、日本有罪論(=諸君のいう「自虐」史観)へと発展します。それが「問題」のこれです。
《情勢判断を誤った、指導者がどうしようもなくバカだった、という点で責任は免れないですね。アメリカに喧嘩売るなんて、人気のない路地裏でマイク・タイソンにイチャモンつけてるようなものです。ボコボコにされておしまい、なんて結果は目に見えてるわけです。なのに、喧嘩を売った。その結末が人類史上未曾有の大惨劇「広島長崎」となるわけです》
そして結論としてこうまとめます。
《「戦争」については「仏教」の例とは異なり、他に選択肢はあったけれども、それを取らなかった、という点でまったく比較が成立しないのです》
注・この場合の「仏教」の例とは、>700年代、台風や地震から民の安全を守る手段として「神仏にすがる」、例と同じに考えて下さい。
(続く)
どう「的外れ」なんですか?
仮に今私が「不公正」だったとします。その「不公正」論を展開するにあたり、「長崎生まれ故に」「持っていた」「判断材料」など微塵も活躍しておりません。アイタタタタさんは(変換が面倒なのでカタカナ表記にします)、ただ私のテキストを「検証」した結果「論理的」結論として「不公正」を導いただけです。それは、長崎生まれでも、東京でも京都でもフランスの片田舎でも、日本語読解能力さえあれば誰でも可能です。
最初は、私の凡庸な日本指導部の日本人被害に対する責任論それ自体に異議を唱えて怒ってるのだ、と思いましたが、そうではなく「不公正」が問題だ、それが長崎生まれの「血液を沸騰」させたとおっしゃります。しかし、上に述べたように、それは実際の議論経緯から考えられません。長崎出身という「特権」性(これは私なりの表現です)と「不公正」論は、どこにも交差交通の契機が見出せないわけです。
>ありふれてるから不公正性なんか無視しちゃえという開き直り
いいえ、違います。ここでアイタタタタさんは未読(の可能性大)の、議論の流れを見てみましょう。
きっかけは ananoujp さんという方の、
>過去を語るときに現代の価値観で語ってはいけないと思います
という「新しい歴史教科書をつくる会」のコピー言説でした。それに対して、私は、
《どうやったら「現代の価値観」で語ることを回避できるのでしょうか?》
と問い返します。すると(最近状況がまずいせいか、静かですが)出しゃばりのヒダリノさんが、
>「魂」を感じるんです。日本歴史に流れる熱い魂を感じるんですよ
>俗に言うところの自虐史観では、抜け落ちている視点が「魂」なのです。
>現在の価値観で「他民族を支配することはいけない」と今は認識されているでしょう。しかし1900年当時、それを回避してなおかつ自分たちの安全を保つ手段が他にあったでしょうか?
>700年代、台風や地震から民の安全を守る手段として「神仏にすがる」意外の手段が考えられたでしょうか?
と他人の議論に割って入ってきたわけです。それに私が、
《哲学的には、それはもちろん不可能なわけですね。「魂」の感じ方、それ自体が、本人は「現代の価値観」を捨て去ったつもりでも、じつは「現代の価値観」に裏打ちされているからです》
とポストモダン思想上の常識を展開し、さらにヒダリノさんの論点を、
《日本がアジアに侵略したり植民地支配しなければ、逆にやられてた、これは自衛戦争、つまり正義の戦争だった、今では批判されるが当時はどうしようもなかったのだ、日本の指導者が日本人と国土の安全のためにしたことなんだ、だから責任を今問うのは理不尽だ、と、hidarino5 さんは主張されたいのだと》
と解釈し、ようするにヒダリノさんの日本指導部無罪論(=自己愛史観)に対する反論として、
《これは、要するに、戦争責任論にも関連しての問いかけでしょうが、まず、「アジアに対する責任」と「日本人に対する責任」、これらを分けて考えるのが妥当ですね》
と、日本有罪論(=諸君のいう「自虐」史観)へと発展します。それが「問題」のこれです。
《情勢判断を誤った、指導者がどうしようもなくバカだった、という点で責任は免れないですね。アメリカに喧嘩売るなんて、人気のない路地裏でマイク・タイソンにイチャモンつけてるようなものです。ボコボコにされておしまい、なんて結果は目に見えてるわけです。なのに、喧嘩を売った。その結末が人類史上未曾有の大惨劇「広島長崎」となるわけです》
そして結論としてこうまとめます。
《「戦争」については「仏教」の例とは異なり、他に選択肢はあったけれども、それを取らなかった、という点でまったく比較が成立しないのです》
注・この場合の「仏教」の例とは、>700年代、台風や地震から民の安全を守る手段として「神仏にすがる」、例と同じに考えて下さい。
(続く)
これは メッセージ 97667 (ai_tatatata さん)への返信です.
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