Re: 南京関係① Re: パークちゃんに
投稿者: parkavenuecanada 投稿日時: 2007/06/25 08:16 投稿番号: [97102 / 99628]
>現在の価値観で過去を裁くなということだ
まだこういう無教養なことを平気で書いておられます。最初に議論した頃、これは学問的に間違いだ、と指摘したはずですが、その後の成長が見当たりません。
E・H・カーは、「歴史とは現在と過去との対話である」といいました。歴史事実とは、歴史家が“事実”を研究してそれに“解釈”を与えてはじめて浮上するもので、その意味で“事実”と歴史家との間に「対話」が存在するわけです。実体としての歴史そのものがあらかじめあるのではないのです。
カーのこの指摘は、今では当たり前な現代思想の荒波が迫る以前の時代ですから、きわめて先駆的発見です。ニーチェあたりの影響でも濃かったのかどうか知りませんが、とまれ、歴史上の客観的事実なんてどこにも存在しません。それは現在を生きる歴史家により選択された“解釈”上の記述なのです。本多勝一に倣っていえば、“主観的”事実のみがあるのです。であれば、歴史とは、その“主観的”事実の集積にすぎず、それも歴史家により選択記述されるという“解釈”の産物なのです。
ハンナ・アーレントはこういってます。
ホメーロス的歴史家は判定者である。もし判断力が過去を取り扱うためのわれわれの能力であるならば、歴史家とは、過去を語ることによって過去について判定を下すところの探求者である。 『カント政治哲学の講義』
つまり、歴史を記述する、それ自体がすでに過去の「判定」にほかならないわけです。「判定」とは“裁く”という意味です。歴史を記述した時点ですでに過去を裁いており、誰もそこから逃れられません。自己愛史観の教科書が開戦における首脳部の苦悩を描くとき、それはすでに(ここは良い意味ですが)裁かれている(=評価されている)のです。
それでも「過去の価値観で過去を語れる」と頑なにおっしゃるかもしれません。しかし、「過去の価値観」とやらを想像するのも現在的思惟の産物であり、膨大な歴史事象の中から選択記述するのも現在視点的整理の結果です。
以前、どうやったら過去の価値観で語れるのか? と問うたところ、「昔の人の魂にふれるんだ」というような答えが返されのを覚えています。これではっきりわかったのは、この人は形而上学を未だに信じてるんだ、ということです。つまり、昔の人の、あるがままの、現在的視点により色付けされない「魂」という実体が有るのだ、と素朴に信じておられるわけです。
これが完全に間違いなのは、現代では常識です。
まだこういう無教養なことを平気で書いておられます。最初に議論した頃、これは学問的に間違いだ、と指摘したはずですが、その後の成長が見当たりません。
E・H・カーは、「歴史とは現在と過去との対話である」といいました。歴史事実とは、歴史家が“事実”を研究してそれに“解釈”を与えてはじめて浮上するもので、その意味で“事実”と歴史家との間に「対話」が存在するわけです。実体としての歴史そのものがあらかじめあるのではないのです。
カーのこの指摘は、今では当たり前な現代思想の荒波が迫る以前の時代ですから、きわめて先駆的発見です。ニーチェあたりの影響でも濃かったのかどうか知りませんが、とまれ、歴史上の客観的事実なんてどこにも存在しません。それは現在を生きる歴史家により選択された“解釈”上の記述なのです。本多勝一に倣っていえば、“主観的”事実のみがあるのです。であれば、歴史とは、その“主観的”事実の集積にすぎず、それも歴史家により選択記述されるという“解釈”の産物なのです。
ハンナ・アーレントはこういってます。
ホメーロス的歴史家は判定者である。もし判断力が過去を取り扱うためのわれわれの能力であるならば、歴史家とは、過去を語ることによって過去について判定を下すところの探求者である。 『カント政治哲学の講義』
つまり、歴史を記述する、それ自体がすでに過去の「判定」にほかならないわけです。「判定」とは“裁く”という意味です。歴史を記述した時点ですでに過去を裁いており、誰もそこから逃れられません。自己愛史観の教科書が開戦における首脳部の苦悩を描くとき、それはすでに(ここは良い意味ですが)裁かれている(=評価されている)のです。
それでも「過去の価値観で過去を語れる」と頑なにおっしゃるかもしれません。しかし、「過去の価値観」とやらを想像するのも現在的思惟の産物であり、膨大な歴史事象の中から選択記述するのも現在視点的整理の結果です。
以前、どうやったら過去の価値観で語れるのか? と問うたところ、「昔の人の魂にふれるんだ」というような答えが返されのを覚えています。これではっきりわかったのは、この人は形而上学を未だに信じてるんだ、ということです。つまり、昔の人の、あるがままの、現在的視点により色付けされない「魂」という実体が有るのだ、と素朴に信じておられるわけです。
これが完全に間違いなのは、現代では常識です。
これは メッセージ 97076 (hidarino5 さん)への返信です.
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