Re: 反日日本人
投稿者: hidarino5 投稿日時: 2005/12/17 08:20 投稿番号: [93057 / 99628]
>常に正しい判断を下せない人はすべて「反日」とでも言いたいのでしょうか?
となると、「反日」という固有の人間は存在せず、その時々の「国益」判断次第で「反日」になったり反「反日」になったりするわけです。
「愛」がそこに介在するか否かです。愛、つまり「国を愛する心」があればそれは反日ではありませんが「国を愛する心」がなければそれは「反日」勿論、国益を考えその結果が違ったものをもたらすのは当然ですが、「愛する国の国益」なのか、或いは「地球市民」としての国益なのかということです。
「愛」が大事なわけで、方法や結果というのはまた別の話しですね。
それと、靖国反対論者が言う「国益」とはなんでしょう?その結果どういう効果がもたらされるのですかね?
>ところで、どんな主張が「反日」なのかは、いったい、だれが決定するのですか?
どんな「主張」かではありません。祖国を愛する気持ちがあれば反日ではないですよ。祖国を愛する気持ちがなければそれは結果日本国益に適うことになろうとそれは「反日」です。
>それでも、反対派が「国益」を考え行動した事実は消えないのです。
多くの「反対派」はそうです。それは認めます。しかし自分が問題にしているのはその反対の主張を先頭に立って行い「隣国と仲が悪くなる」という世論の熟成を行おうとする勢力です。多くの反対派はその主張によって踊らされていると見ています。そして踊った結果「靖国参拝に対して反対するのが国益」と勘違いしている。勘違いしているのはもちろん「結果論」です。
勘違いする世論を作る勢力に「愛国心」があるとは思えませんね。なんせ「地球市民」ですし。
「知らない」こと、そして「勘違い」は恐ろしいですね。自ら「国益」と思っても間逆の選択をしかねません。それこそ戦争に突き進んだ当時の政府のように。愛のある行動かもしれませんが、その結果誤った選択をした、当時の戦争に突き進んだ指導者と現在の「隣国に対する配慮」という理由で踊らされている靖国参拝反対論者の本質は同じです。
>その時々の「国益」判断次第で「反日」になったり反「反日」になったりするわけです。となると、何百万という日本人の尊い命を奪った戦争の責任者はとうぜん「反日」ですね。勝てる見込みのない戦争に突入し、国民の生命も財産も根こそぎ奪ったわけですから。これは完全に反「国益」的判断であったわけです。これを「反日」と言わずして、「反日」など存在できません。
結果論です。少なくとも当時の制度とはいえ「正当に選挙された」国民の代表者の選択です。一部指導者にその責任を求めるのは誤りだと思いますよ。選挙できますし、世論の形成も出来ます。
一部指導者の責任に帰する大変簡単なことですが、事の本質から逃げていますね。大正デモクラシーの時期などは軍が嫌われていると言う事実もまたあるわけです。世論の形成も戦争に突き進んだ原因であるのは事実。
戦争は一部の指導者だけでは出来ません。「世論の形成」は戦争に突き進む重要な要因ですよ。
「戦争と言う選択肢をチョイスした=反日」というのはあくまでチョイスに対しての結果論。重要なのはそこに「愛」があるかないか、そういうことですね。
「愛」がそこに介在するか否かです。愛、つまり「国を愛する心」があればそれは反日ではありませんが「国を愛する心」がなければそれは「反日」勿論、国益を考えその結果が違ったものをもたらすのは当然ですが、「愛する国の国益」なのか、或いは「地球市民」としての国益なのかということです。
「愛」が大事なわけで、方法や結果というのはまた別の話しですね。
それと、靖国反対論者が言う「国益」とはなんでしょう?その結果どういう効果がもたらされるのですかね?
>ところで、どんな主張が「反日」なのかは、いったい、だれが決定するのですか?
どんな「主張」かではありません。祖国を愛する気持ちがあれば反日ではないですよ。祖国を愛する気持ちがなければそれは結果日本国益に適うことになろうとそれは「反日」です。
>それでも、反対派が「国益」を考え行動した事実は消えないのです。
多くの「反対派」はそうです。それは認めます。しかし自分が問題にしているのはその反対の主張を先頭に立って行い「隣国と仲が悪くなる」という世論の熟成を行おうとする勢力です。多くの反対派はその主張によって踊らされていると見ています。そして踊った結果「靖国参拝に対して反対するのが国益」と勘違いしている。勘違いしているのはもちろん「結果論」です。
勘違いする世論を作る勢力に「愛国心」があるとは思えませんね。なんせ「地球市民」ですし。
「知らない」こと、そして「勘違い」は恐ろしいですね。自ら「国益」と思っても間逆の選択をしかねません。それこそ戦争に突き進んだ当時の政府のように。愛のある行動かもしれませんが、その結果誤った選択をした、当時の戦争に突き進んだ指導者と現在の「隣国に対する配慮」という理由で踊らされている靖国参拝反対論者の本質は同じです。
>その時々の「国益」判断次第で「反日」になったり反「反日」になったりするわけです。となると、何百万という日本人の尊い命を奪った戦争の責任者はとうぜん「反日」ですね。勝てる見込みのない戦争に突入し、国民の生命も財産も根こそぎ奪ったわけですから。これは完全に反「国益」的判断であったわけです。これを「反日」と言わずして、「反日」など存在できません。
結果論です。少なくとも当時の制度とはいえ「正当に選挙された」国民の代表者の選択です。一部指導者にその責任を求めるのは誤りだと思いますよ。選挙できますし、世論の形成も出来ます。
一部指導者の責任に帰する大変簡単なことですが、事の本質から逃げていますね。大正デモクラシーの時期などは軍が嫌われていると言う事実もまたあるわけです。世論の形成も戦争に突き進んだ原因であるのは事実。
戦争は一部の指導者だけでは出来ません。「世論の形成」は戦争に突き進む重要な要因ですよ。
「戦争と言う選択肢をチョイスした=反日」というのはあくまでチョイスに対しての結果論。重要なのはそこに「愛」があるかないか、そういうことですね。
これは メッセージ 93054 (parkavenuecanada さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1834688/4z9qa4ua46a41a4sa4j_1/93057.html