韓国ふざけんな

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続・焼肉の歴史

投稿者: tohrisugary 投稿日時: 2003/11/30 20:01 投稿番号: [85443 / 99628]
http://www.nwj.ne.jp/public/toppage/20031126articles/SR_sho.html
もみダレに漬け込まれた肉をテーブルの網で焼き、小皿のつけダレに浸して食べる。
韓国料理というとすぐに思い浮かぶ光景だが、こうした食べ方が編み出されたのは韓国ではない。
焼肉のルーツは、戦争の焼け跡が残る1946年、1人の在日コリアンが大阪の千日前に開いた小さな店にある。

もともと焼肉は、朝鮮半島では調理されてから食卓に運ばれるものだった。
しかし、それでは厨房から運ばれる間に肉のうま味が逃げてしまう。
そこでテーブルに七輪を置き、客が自分で焼いて食べるスタイルを考え出したのが、在日コリアン1世の林光植(後に国籍を取得し、江崎光雄と改名)だ。

江崎が創業した「食道園」は、業界で初めて無煙ロースターを導入するなど、焼肉の普及に貢献。
今では大阪・宗右衛門町の本店のほか、大阪、兵庫、奈良に計14支店を構えている。
大衆化が進んだ焼肉は、寿司やそば、中華料理と並ぶ外食産業の一大勢力に成長した。(中略)

食道園の江崎は戦前、平壌から日本に渡り、日本人の女性と結婚。第2次大戦で中国に出征し、戦時中に退役して中国で精肉店を営んだ。
やがて日本の敗戦が濃厚になったため平壌に移り、そこで終戦を迎えた。

だが日本人の妻をもつ江崎は、終戦で反日感情が高まった朝鮮半島を脱出することにした。
漁船で密航して平壌をたち、仁川、ソウル、釜山を経て日本に帰国。
故郷の名物である冷麺へのこだわりと、精肉業の経験から、冷麺と焼肉を看板に掲げた食道園を開店した。

道端に七輪を置いて肉を食べさせる屋台のような店は、それまでにもあった。
食道園が斬新だったのは、壁も扉もある食堂で同じサービスを提供したことだ。

息子で食道園の社長を務める江崎政雄(62)によれば、工夫したのはそれだけではない。
テーブルに七輪を置いたままでは網の位置が高すぎるので、テーブルに穴を開けてその中に七輪を置き、肉を焼きやすいようにした。

現在の焼肉店のメニュー構成を発案したのも食道園だ。
もともと朝鮮半島では、肉と内臓は別々の店で食べるのが一般的だった。
江崎はカルビやミノ、レバーなどさまざまな種類の肉を同じ店で食べられるようにした。

肉をつけダレで食べるのは「文化的にみれば、すき焼きの発想だ」と、『よくわかる焼肉・韓国料理の歴史』の著書がある滋賀県立大学の鄭大聲教授は言う。
鄭によれば、朝鮮戦争による厳しい食料事情から、食道園の創業から少し遅れて朝鮮半島でも現在の焼肉の食べ方が始まったという。

食道園によって大衆化された焼肉は、冷麺から石焼きビビンバまで、朝鮮半島各地の名物メニューを網羅する食文化として日本で発展した。
タン塩も、在日コリアンが発案したとされる。(後略)
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