>ちなみに
投稿者: qm0x0mp 投稿日時: 2003/02/15 02:01 投稿番号: [75619 / 99628]
断っておくが、俺は誰の味方でもない。
理不尽なレスに食いつくだけだ。
アイデンティティーという言葉だけに俺は反応したわけだが、
フラワーの見解と地獄の見解「スッキリするしない」の問題ではなかろうに。
俺は{アイデンティティー}という言葉にはとても執着を持っている。
だからこそ気軽に意味を疑いもせずに使って欲しくないってのが本音だ。
そして、意味不明な言葉の羅列のやり取りが不毛な会話であるということも忘れないで欲しい。
「すべての存在を疑っても自分の存在を否定することはできない、そんな宙ぶらりんな自分がいると自覚すること」
これは俺なりのデカルトの言葉の解釈だがどのように異論があるかな?
まあ、その後に「アイデンティティー」をつけたのは、これまた「個性の主張」と表現したかったのだが。もちろんこれはデカルトの言葉ではない。
そして『民族としての「アイデンティティ」』に飛ぶことは俺はしていないが。
ちなみにこれはまだ俺にも解釈しきれないがデカルトの言葉には「考える私」「考えるものとしての私」「私が知ってることの私」というものがある。
さっきの捕捉になるが、デカルトはこう言っている。
「考える私」以外の私の可能性についてある留保または想像力が「私が知っているこの私」
どうだい?「宙ぶらりん」って解釈は?
あながち間違ってはいないと思うが。
これは メッセージ 75616 (butaru2002 さん)への返信です.
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