カナンの地におけるヘブライ人2
投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/27 16:45 投稿番号: [60910 / 99628]
2 出エジプト
これらの部族のうちいくつかの集団、おそらく伝承上のヨセフ集団は、さらにエジプトまで移住した。これはヒクソス(主としてセム系の人々からなるエジプトの征服者)王朝の時代、すなわち前1694〜前1600年の間のことだったと思われる。そこで彼らは、前1570年にヒクソスがエジプトから追放されるまで、繁栄した。しかしヒクソスの追放の結果、ヘブライ人は外国人として迫害され、奴隷として酷使されるようになった。
多くの歴史学者は出エジプトを、エジプトにとらわれていたヘブライ人が奴隷状態を脱出し、なお血縁意識をもちつづけていたパレスティナのほかのヘブライ諸部族と再合一しようとくわだて、成功した事態であるとみている。出エジプトという出来事を裏づける考古学的証拠はなにもない。エジプトの記念碑にも、該当する記述はまったくみあたらない。おそらく、エジプトにいたヘブライ人が実際にはせいぜい数千人、あるいはそれ以下だったためだろう。そのような集団の逃亡は、明らかに、エジプトでは大した出来事ではなかったのである。
しかしユダヤ人の歴史では、出エジプトという出来事はひじょうに大きな意味をもっている。それは最初の大預言者モーセによってひきいられた出来事であり、モーセは聖なるシナイ山でヤハウェとの契約をさずけられた。この初期の宗教は、財産の位置、個人の権利、性道徳、共同体の全構成員の基本的平等性などの遊牧的理念を自己の中にとりいれたものであり、それをのちのユダヤ教がうけつぐことになる。個人の自由と自由への愛(遊牧するセム系の人々の特徴)と、創造者にして立法者、王としての神の観念は、イスラエルの宗教の一部となり、のちにはさらに政治理論の一部となった。
前2千年紀後半のカナンへの定着は、軍事的征服の面をもつと同程度に、カナン人との混血や協定を通じても実現された。しかもそれは、侵入者たちにとって、何の妨げもなくこの地の支配権を獲得するためのまたとない好機だった。エジプト、ヒッタイト、シュメールの諸王国はもはや衰退しており、潜在的に大勢力となる可能性をひめたアッシリアは、まだその力を結集していなかったのである。
ヤハウェの諸部族は、モーセの後継者ヨシュアにひきいられてヨルダン川をわたり、エリコの町とその周辺の平野を征服して、ヨルダン川西岸地域に地歩をかためた。数の点では、先住民のカナン人よりも少数だったが、ヤハウェの諸部族は彼らの宗教的な契約、共通の祖先をもつという伝承、民主的な理念によって結束をかためていた。士師(偉大な軍事的・社会的指導者)たちの時代を通じて、いまやイスラエル人と名のるようになったヘブライ人は、カナンの地を確保していった。彼らはモアブ人、ミディアン人、そしてとくに、エーゲ海からやってきてパレスティナの海岸地方に定着をこころみていたペリシテ人などの侵略者を撃退した。
これらの部族のうちいくつかの集団、おそらく伝承上のヨセフ集団は、さらにエジプトまで移住した。これはヒクソス(主としてセム系の人々からなるエジプトの征服者)王朝の時代、すなわち前1694〜前1600年の間のことだったと思われる。そこで彼らは、前1570年にヒクソスがエジプトから追放されるまで、繁栄した。しかしヒクソスの追放の結果、ヘブライ人は外国人として迫害され、奴隷として酷使されるようになった。
多くの歴史学者は出エジプトを、エジプトにとらわれていたヘブライ人が奴隷状態を脱出し、なお血縁意識をもちつづけていたパレスティナのほかのヘブライ諸部族と再合一しようとくわだて、成功した事態であるとみている。出エジプトという出来事を裏づける考古学的証拠はなにもない。エジプトの記念碑にも、該当する記述はまったくみあたらない。おそらく、エジプトにいたヘブライ人が実際にはせいぜい数千人、あるいはそれ以下だったためだろう。そのような集団の逃亡は、明らかに、エジプトでは大した出来事ではなかったのである。
しかしユダヤ人の歴史では、出エジプトという出来事はひじょうに大きな意味をもっている。それは最初の大預言者モーセによってひきいられた出来事であり、モーセは聖なるシナイ山でヤハウェとの契約をさずけられた。この初期の宗教は、財産の位置、個人の権利、性道徳、共同体の全構成員の基本的平等性などの遊牧的理念を自己の中にとりいれたものであり、それをのちのユダヤ教がうけつぐことになる。個人の自由と自由への愛(遊牧するセム系の人々の特徴)と、創造者にして立法者、王としての神の観念は、イスラエルの宗教の一部となり、のちにはさらに政治理論の一部となった。
前2千年紀後半のカナンへの定着は、軍事的征服の面をもつと同程度に、カナン人との混血や協定を通じても実現された。しかもそれは、侵入者たちにとって、何の妨げもなくこの地の支配権を獲得するためのまたとない好機だった。エジプト、ヒッタイト、シュメールの諸王国はもはや衰退しており、潜在的に大勢力となる可能性をひめたアッシリアは、まだその力を結集していなかったのである。
ヤハウェの諸部族は、モーセの後継者ヨシュアにひきいられてヨルダン川をわたり、エリコの町とその周辺の平野を征服して、ヨルダン川西岸地域に地歩をかためた。数の点では、先住民のカナン人よりも少数だったが、ヤハウェの諸部族は彼らの宗教的な契約、共通の祖先をもつという伝承、民主的な理念によって結束をかためていた。士師(偉大な軍事的・社会的指導者)たちの時代を通じて、いまやイスラエル人と名のるようになったヘブライ人は、カナンの地を確保していった。彼らはモアブ人、ミディアン人、そしてとくに、エーゲ海からやってきてパレスティナの海岸地方に定着をこころみていたペリシテ人などの侵略者を撃退した。
これは メッセージ 1 (magekuri さん)への返信です.
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