金泳三政権
投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/24 19:11 投稿番号: [59527 / 99628]
5 金泳三政権
1993年2月に32年ぶりの文民大統領となった金泳三は、国民の支持を獲得すべく、「韓国病」克服を旗印に、各方面における不正腐敗の一掃に手をつけはじめた。官界、軍部、経済界などを対象とした綱紀粛正によって、金政権は国民から一定の支持はえたものの、大統領府の独走に対する批判もあった。95年6月の地方選挙では、野党の民主党が全羅南道、全羅北道を中心に、自由民主連合(自民連)が忠清南道、忠清北道を中心に躍進した。金大中は地方選挙を機に、金泳三政権に失望したとして政界へ復帰し、新政治国民会議を結成した。
一方、一連の不正行為の摘発はその後もすすみ、1995年冬から96年の春にかけて、盧泰愚前大統領や、現代グループの代表鄭周永(チョン・ジュヨン)をはじめとする経済界の大物、さらには金泳三大統領の側近など、多数が逮捕、起訴されるまでになった。この間、95年12月には、粛軍クーデタ(1979年12月)の責任を追及するとして、全斗煥元大統領が逮捕された。96年4月の総選挙では、与党の新韓国党が議席をへらして過半数をわりながらも、事前の予想よりは善戦し、政権の安定感は強まった。
1996年9月、カンウォン道(江原道)カンヌン(江陵)の海辺で、座礁した北朝鮮の潜水艦が発見された。国防省は武装ゲリラが侵入したとみて大規模な掃討作戦をおこない、銃撃戦で多くの北朝鮮兵士を射殺。金大統領は北朝鮮に謝罪を要求し、国会も対北非難決議を採択した。一方、北朝鮮からの亡命者もめだち、97年2月には最高級幹部の黄長菀(ファン・ジャンヨブ)労働党書記がペキン(北京)の韓国領事館に亡命を申請、4月に韓国入りした。
1996年末、労働関係法が国会で抜き打ち的に改定されると、これに抗議する労働者は翌97年1月にかけてゼネストをおこなった。韓国労働組合総同盟、民主労働組合総同盟の二大組織傘下の組合員約72万人が参加する韓国史上最大規模のストで、ソウルをはじめ釜山、光州など10以上の都市で集会が開かれ、デモ隊と機動隊がはげしく衝突した。
韓国大検察庁は、1997年1月から中堅財閥のひとつ韓宝鉄鋼への不正融資事件をめぐり、金泳三大統領の2男金賢哲(キム・ヒョンチョル)の利権や国政人事への介入疑惑を捜査していたが、5月に入って賢哲を斡旋収賄(あっせんしゅうわい)と巨額脱税の容疑で逮捕した。現職大統領の子息逮捕は韓国でははじめてのことで、金大統領は再三謝罪を表明した。また、収賄で現職内相や与野党議員が逮捕されるなど、事件は政権の中枢にまでおよんだ。大統領はこれに先だつ3月4日、人心一新をはかり、李寿成(イ・スソン)首相を更迭し、明知大学総長の高建(コ・ゴン)を新首相に指名、経済閣僚、法相、内相ら7人をいれかえたが、その威信は大きく低下した。
1996年に経済協力開発機構(OECD)への正式加盟がきまり、先進国への仲間入りをはたした韓国だが、97年に入ると輸出不振や金融不安が重なり、経済成長に急ブレーキがかかった。同年1月、韓宝鉄鋼が倒産したのを皮切りに、焼酎の真露、三美特殊鋼、大農、韓国有数の自動車メーカー起亜自動車など各財閥大企業が不渡りを出し、政府管理下におかれることになった。この動きは金融機関にも波及し、不良債権問題が浮上したため、政府は主要国内銀行7行に対し緊急融資をおこなった。
さらに同1996年7月にはじまったウォンの対ドル相場の低下は、11月中旬には3日連続の大暴落をひきおこし、連日最安値を更新。12月下旬には1ドル = 2000ウォンにまでさがった。株式相場も急落し、経済危機はいっそう深刻なものとなった。金大統領は経済補佐官や関係閣僚を更迭し、11月21日には国際通貨基金(IMF)に正式に緊急支援を要請。また300億ドル余りの国債の対日売却をきめたほか、2国間の大型資金融資を日本にもとめた。12月までにIMFとアメリカ、日本、欧米諸国から総額570億ドルの支援がきまったが、これは1995年のメキシコ危機への支援額500億ドルをこえる史上最大規模のものである。
1993年2月に32年ぶりの文民大統領となった金泳三は、国民の支持を獲得すべく、「韓国病」克服を旗印に、各方面における不正腐敗の一掃に手をつけはじめた。官界、軍部、経済界などを対象とした綱紀粛正によって、金政権は国民から一定の支持はえたものの、大統領府の独走に対する批判もあった。95年6月の地方選挙では、野党の民主党が全羅南道、全羅北道を中心に、自由民主連合(自民連)が忠清南道、忠清北道を中心に躍進した。金大中は地方選挙を機に、金泳三政権に失望したとして政界へ復帰し、新政治国民会議を結成した。
一方、一連の不正行為の摘発はその後もすすみ、1995年冬から96年の春にかけて、盧泰愚前大統領や、現代グループの代表鄭周永(チョン・ジュヨン)をはじめとする経済界の大物、さらには金泳三大統領の側近など、多数が逮捕、起訴されるまでになった。この間、95年12月には、粛軍クーデタ(1979年12月)の責任を追及するとして、全斗煥元大統領が逮捕された。96年4月の総選挙では、与党の新韓国党が議席をへらして過半数をわりながらも、事前の予想よりは善戦し、政権の安定感は強まった。
1996年9月、カンウォン道(江原道)カンヌン(江陵)の海辺で、座礁した北朝鮮の潜水艦が発見された。国防省は武装ゲリラが侵入したとみて大規模な掃討作戦をおこない、銃撃戦で多くの北朝鮮兵士を射殺。金大統領は北朝鮮に謝罪を要求し、国会も対北非難決議を採択した。一方、北朝鮮からの亡命者もめだち、97年2月には最高級幹部の黄長菀(ファン・ジャンヨブ)労働党書記がペキン(北京)の韓国領事館に亡命を申請、4月に韓国入りした。
1996年末、労働関係法が国会で抜き打ち的に改定されると、これに抗議する労働者は翌97年1月にかけてゼネストをおこなった。韓国労働組合総同盟、民主労働組合総同盟の二大組織傘下の組合員約72万人が参加する韓国史上最大規模のストで、ソウルをはじめ釜山、光州など10以上の都市で集会が開かれ、デモ隊と機動隊がはげしく衝突した。
韓国大検察庁は、1997年1月から中堅財閥のひとつ韓宝鉄鋼への不正融資事件をめぐり、金泳三大統領の2男金賢哲(キム・ヒョンチョル)の利権や国政人事への介入疑惑を捜査していたが、5月に入って賢哲を斡旋収賄(あっせんしゅうわい)と巨額脱税の容疑で逮捕した。現職大統領の子息逮捕は韓国でははじめてのことで、金大統領は再三謝罪を表明した。また、収賄で現職内相や与野党議員が逮捕されるなど、事件は政権の中枢にまでおよんだ。大統領はこれに先だつ3月4日、人心一新をはかり、李寿成(イ・スソン)首相を更迭し、明知大学総長の高建(コ・ゴン)を新首相に指名、経済閣僚、法相、内相ら7人をいれかえたが、その威信は大きく低下した。
1996年に経済協力開発機構(OECD)への正式加盟がきまり、先進国への仲間入りをはたした韓国だが、97年に入ると輸出不振や金融不安が重なり、経済成長に急ブレーキがかかった。同年1月、韓宝鉄鋼が倒産したのを皮切りに、焼酎の真露、三美特殊鋼、大農、韓国有数の自動車メーカー起亜自動車など各財閥大企業が不渡りを出し、政府管理下におかれることになった。この動きは金融機関にも波及し、不良債権問題が浮上したため、政府は主要国内銀行7行に対し緊急融資をおこなった。
さらに同1996年7月にはじまったウォンの対ドル相場の低下は、11月中旬には3日連続の大暴落をひきおこし、連日最安値を更新。12月下旬には1ドル = 2000ウォンにまでさがった。株式相場も急落し、経済危機はいっそう深刻なものとなった。金大統領は経済補佐官や関係閣僚を更迭し、11月21日には国際通貨基金(IMF)に正式に緊急支援を要請。また300億ドル余りの国債の対日売却をきめたほか、2国間の大型資金融資を日本にもとめた。12月までにIMFとアメリカ、日本、欧米諸国から総額570億ドルの支援がきまったが、これは1995年のメキシコ危機への支援額500億ドルをこえる史上最大規模のものである。
これは メッセージ 1 (magekuri さん)への返信です.
固定リンク:https://yarchive.emmanuelc.dix.asia/1834688/4z9qa4ua46a41a4sa4j_1/59527.html