韓国ふざけんな

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三国

投稿者: ditgtedgbbdc 投稿日時: 2002/07/24 16:50 投稿番号: [59493 / 99628]
I プロローグ 三国   さんごく   朝鮮半島において313〜676年に、高句麗、百済、新羅が鼎立(ていりつ)し、抗争した時代をさす。高句麗はすでに鴨緑江支流の地域で前1世紀後半には国家としての体制をととのえ、313年に、中国がおいていた楽浪郡をほろぼし、翌年には帯方郡を攻略して、大国に成長した。しかし、342年には中国の五胡十六国のひとつ前燕の攻撃をうけて王都(現在の中国吉林省チーアン市(集安市))にせめこまれている。

II 三国の鼎立
一方、南部では韓族諸国の国家形成がすすみ、高句麗の楽浪・帯方攻略に呼応するかたちで、4世紀前半にそれまで三韓といわれていたうちの馬韓の地から百済が、中葉に辰韓の地から新羅が成立した。のこる南部の弁韓諸国は統一されず、加羅諸国として併立していた。百済は371年に近肖古(きんしょうこ)王が高句麗に大勝して、漢山(現、ソウル)に王都をきずいた。しかし、その後高句麗は広開土王のもとで発展し、396   年には百済軍をやぶり、400年には百済とむすんで新羅に侵攻した倭をやぶった。

つぎの長寿王は、王都を半島内の平壌にうつし、475年には百済の漢山城をおとして百済はいったん滅亡した。その後、百済の支配勢力は、南の熊津(ゆうしん:現、忠清南道公州)に都をうつして再興する。一方、新羅も慶州に都をおき、5世紀末には勢力を拡大、三国の抗争がはじまった。

III 三国の抗争
6世紀になると、新羅は爆発的な発展をとげる。法興(ほうこう)王は軍事制度を整備して改革を断行し、百済と支配権をあらそっていた加羅諸国への攻勢も強めた。つぎの真興(しんこう)王は、552年に、前年百済が高句麗から奪回したばかりの漢山城をうばって漢江流域に進出し、中国への自主通交の拠点を入手した。さらに554年には百済の聖王をうちとり、562年までに加羅諸国を支配することになる。

この間百済は、6世紀初めに武寧(ぶねい)王が加羅諸国に進出、538年には聖王が泗・(しひ:現、忠清南道扶余)に都をうつし、551年に高句麗をやぶって漢山城を奪回した。しかし前述したように、翌年新羅に漢山城をうばわれ、聖王も敗死する。また、高句麗は漢山城をうしなって大国の地位がゆらぎはじめた。

IV 隋、唐と新羅による半島の統一
中国では、589年に隋が全土を統一し、百済、新羅の要請もあって、612年以降3度にわたる高句麗遠征がおこなわれた。ついで618年に隋がほろび、唐が成立するという激動の中で3国の対立も激化し、640年代には3国ともに政変がおきて権力の集中がはかられた。

新羅は唐に依存して高句麗、百済に対抗し、百済も日本の軍事力を利用した。645年以降の3次におよぶ唐の侵攻を高句麗はしりぞけたが、百済は660年、唐と新羅の連合軍にほろぼされ、668年には高句麗もほろぼされて、三国時代はおわった。

唐は朝鮮半島の支配をはかったが、新羅は670年から唐とたたかい、676年には唐の勢力を朝鮮半島から撤収させて、半島統一を完成させた。
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