寛容なトルコ人
投稿者: ecebuta 投稿日時: 2006/03/09 05:00 投稿番号: [3088 / 4578]
http://www.oikawaneko.com/diary/diary178.html
たとえば兄嫁や友達の奥さんに、自分のパンツを洗わせてもまったく平気。さらに、自分のパンツがなかったら誰かのを履いていく。反対に、自分のパンツを誰かに履かれてもまったく気にしない。と言うのである。
つまり、自分が金を出して買ったパンツであろうと、そこに執着心はない。また、自分の履いていたパンツを見られても、当然「中身が入っていない」ので恥ずかしくも何ともない。
そうなってくると、「アナタのもの」と「ワタシのもの」を分ける境界線なんて、ほとんどなくなってきてしまう。
そこにあれば着る。そこにあれば使う。そこにあれば食べる。…何ともわかりやすい基準である。
そういや。
トルコでは独身の男女が一人暮らしをすることは滅多になく、子供の多い家では大所帯である。しかし以前、洗面所に家族の数だけの歯ブラシが置いていないのを見て、歯を磨かない人も多いのかなと不思議に思っていたのだが、あれは歯ブラシを家族間で共有しているのかもしれない。
実際に、食後につまようじでシーシーやっていた娘に、私にもちょうだいと母親が言ったとき、娘はその自分が使っていたつまようじを渡した、という光景を目撃したこともあった。
もしうちの母親が私に対して同じことをやったなら、私は彼女を家から追い出すかもしれない。1円にも満たないような安い物をケチるんじゃないよ、などの経済的理由などではなく、たとえ家族と言えども越えていい線と悪い線があると思ってしまうからだ。
仮にパンツの替えが一つもなくなっても、私は母親のものを絶対に履いたりしない。サイズが違うからね、なんて理由ではもちろんない。ノーパンでそのままコンビニに新しいパンツを買いに走るだろう。
でも、トルコ人は、
「あ、洗ってある。オッケー!」
てな具合で、時には誰のものかさえ曖昧なパンツを平然と履いている。逞しいと言うべきなのか、そうじゃないのか…。
たとえば兄嫁や友達の奥さんに、自分のパンツを洗わせてもまったく平気。さらに、自分のパンツがなかったら誰かのを履いていく。反対に、自分のパンツを誰かに履かれてもまったく気にしない。と言うのである。
つまり、自分が金を出して買ったパンツであろうと、そこに執着心はない。また、自分の履いていたパンツを見られても、当然「中身が入っていない」ので恥ずかしくも何ともない。
そうなってくると、「アナタのもの」と「ワタシのもの」を分ける境界線なんて、ほとんどなくなってきてしまう。
そこにあれば着る。そこにあれば使う。そこにあれば食べる。…何ともわかりやすい基準である。
そういや。
トルコでは独身の男女が一人暮らしをすることは滅多になく、子供の多い家では大所帯である。しかし以前、洗面所に家族の数だけの歯ブラシが置いていないのを見て、歯を磨かない人も多いのかなと不思議に思っていたのだが、あれは歯ブラシを家族間で共有しているのかもしれない。
実際に、食後につまようじでシーシーやっていた娘に、私にもちょうだいと母親が言ったとき、娘はその自分が使っていたつまようじを渡した、という光景を目撃したこともあった。
もしうちの母親が私に対して同じことをやったなら、私は彼女を家から追い出すかもしれない。1円にも満たないような安い物をケチるんじゃないよ、などの経済的理由などではなく、たとえ家族と言えども越えていい線と悪い線があると思ってしまうからだ。
仮にパンツの替えが一つもなくなっても、私は母親のものを絶対に履いたりしない。サイズが違うからね、なんて理由ではもちろんない。ノーパンでそのままコンビニに新しいパンツを買いに走るだろう。
でも、トルコ人は、
「あ、洗ってある。オッケー!」
てな具合で、時には誰のものかさえ曖昧なパンツを平然と履いている。逞しいと言うべきなのか、そうじゃないのか…。
これは メッセージ 3087 (ecebuta さん)への返信です.
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